どこでもドアとまではいかなくても
「いつになったらどこでもドアが現代に来るかな」
そんなことを大真面目に考えてきた。
正直、空飛ぶ車はあと数年くらいで現実にやってきそうな気がしている。
もちろん、これまた大真面目だ。
よく、こんなようなことを思う。
今はもう天国にいる祖母と、もっと色々な場所に旅行したかった。
施設暮らしで元気がない動物好きの祖父に、今すぐにでも私の猫を連れて行って見せてあげたい。
本当は愛猫と色々な場所を旅してみたい。
会いたい人に、会いたい時、すぐに会いに行けたらいいのに。
大切な人が具合悪い時にすぐ駆け付けられたらいいのに。
長時間乗り物に乗っていられない私が、遠くまで行けたらいいのに。
一度でいいから外国に行ってみたい。
外国じゃなくても、沖縄とか行ってみたい。
本当は生きているうちに、もっと見てみたい世界が、たくさんある。
私と全く同じではなくても、似たようなことを一度でも考えたことのある人はいるのではないだろうか。
「どこでもドアほしい」なんてのは、誰もが一度は思ったことがあるような気がする。
なかなか難しいことであることはわかっている。
けれども、別の方法でもなんとかこういった思いをなんとかできるような気はしている。
もっと一人一人に時間のゆとりがあれば、そういった時間が取れる。
そのためにはまず、働き方を変えていく必要がある。
きっと、そんな時間のために人は仕事を頑張れる。
ストレートに書くと、それで自殺者もだいぶ減るのではないかと私は思っている。
そして新しい交通手段の登場。
短時間であれば乗り物を我慢できるという人は私以外にもいるはずだ。
もう少し時間が短かったら行けるのに、などと悔しい思いをしている人たちが。
そういった人たちが、ギュッと目を瞑っているうちに目的地に到達できるような、新幹線よりずっとずっと早い乗り物が世にあることが当たり前になってほしい。
それだと、長距離移動という旅の醍醐味がなくなるという人もいるかもしれない。
そういった人はゆっくり目的地に向かえばいい。
そうでない人たちが諦めなくて良い世界を私は望む。
そのためには、ただ新しい施設をどんどん増やし続けるのではいけない。
そういった大きな目的のために新しい大きな交通機関を開くために、
土地にそのための十分なスペースを取っておく必要がある。
お金もだ。
環境も守らなくてはいけない。
私が書いていることは妄想であり希望に過ぎないけれども
「もしかしたら本当になるかもしれない」暮らしたい未来のまちのために
いまから意識をしていきたい。準備をしていきたい。
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