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帰る場所も家族もない。だから、自分で帰れる居場所を作りたい【はぴあわせ通信Vol.3後編】
今回取材した方は、専門学校を卒業後に陸上の指導者としてキャリアをスタートさせ、その後も数々の仕事を転々としながら心のおもむくままに自由に生きてきた前田彰さんです。
前編でははっぴーの家ろっけんで働くまでの経緯や、型にはまらない個性的な企業も多く紹介してもらいました。
後編でははっぴーの家ろっけんで働いたことでの価値観の変化や、転職期間中の挫折経験、今のやりたいことについてお話を伺います!
――前回は東京で広報の仕事をしていた話をお伺いしましたが、その後の活動についても教えてください。
はい。東京にあるクラウドファンディングの企業で働いていましたが、一度有休を取って、はっぴーの家ろっけんに帰省しました。東京に仕事に出る前から、はっぴーの家ろっけんにちょくちょく遊びには行っていたので、実家に戻る感覚ではっぴーに帰りました。
はっぴーの家ろっけんは介護付きシェアハウスです↓
よく分からない、けど一緒にいる。ワケあり、くせ者、変わり者、日本人も外国人もごちゃ混ぜに集まる介護付きシェアハウスが神戸市長田区にある。その名も「はっぴーの家ろっけん」。<違和感も3つ以上重なるとどうでもよくなる>をモットーに運営する首藤義敬さん(36)の元には、引き寄せられるように多種多様な人がやってくる。
――私とあきらさんが出会ったのもはっぴーの家ろっけんに訪問に言った時でしたね。<違和感も3つ以上重なるとどうでもよくなる>というモットーのように、普通の介護施設とは全く違う異空間のような場所でした。その空間に入った時に、なじめるかなと最初は不安になりませんでしたか?
あまりなかったですね。朝は皿洗いを手伝ったりして、それから好きに過ごしていたので、手伝いに来てくれる近所の若い子という認識だったと思います。あと、当時は人が少なかったので、覚えられやすかったのもあります。
――なぜはっぴーの家ろっけんにそこまで魅力を感じましたか?
当時は家族もいなかったですし、帰る場所もありませんでした。でもはっぴーの家に帰ったらいろんな人と出会うことができて、家族のようなご近所さんのような不思議な距離感が心地よかったです。あとは、東京での仕事に疲れていて、はっぴーに帰ってきて30分くらい経ったら、仕事とか悩んでることがどうでもよくなる瞬間がありました。
――はっぴーの家ろっけんにとって”どうでもよくなる”というのはすごい重要なキーワードですよね。読者の皆様もぜひこの記事を読んでください↓
――その夏季休暇の時にあきらさんにとっての転機があったんですよね?
はい。2019年7月にはっぴーの家ろっけんで初めて人が亡くなりました。はっぴーの家ろっけんは施設内の入居者さんが亡くなると自分たちで葬儀をしますが、その時が最初の葬儀でした。
それからずっと、明日死ぬかもしれないのに東京にいていいのかと考えるようになって、働いていてもモヤモヤしました。その時からNoteを書き出しましたが、思ったより反響が大きくて、後押しされるように2019年11月にCampfireを退社してはっぴーの家ろっけんに帰りました。
はっぴーの家ろっけんに就職したわけではなかったです。首藤さんからSNSを手伝ってほしいと言われて、三カ月くらい手伝っていました。そしたら、3か月分の現金を外出先でもらって、翌月から月給をもらいました。
SNS担当やアシスタントとして働いて、業務委託から最終的に正社員になりました。
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――あきらさんと首藤さんはどういったところの価値観が似ていますか?
はっぴーの家ろっけんで働いていたり、関わっていたりする人は背景が人それぞれです。子育て中のままさんも、外国人も、子供も、世間でいう多様性が一か所に集まったような場所です。はっぴーを守る人たちもそれぞれの持ち場があります。介護士さんとかは一人一人の入居者さんのことを考えて動くし、自分や首藤さんは空間のことを考えます。この音楽を流したり、写真を飾ってみたりして、どうしたらこの空間が面白くなるのか工夫するのが二人とも好きでした。
――はっぴーの家ろっけんをやめた今、振り返って思うことは何かありますか?
やめてからこそ、人間的な部分も含めていろんなことを学ばせてもらったなと気づきます。しょっちゅうトラブルもあるし。笑
みんな価値観が違うからこそ、新しい考え方を知るたびに、自分の中で受け取り方が広がっていく気がします。
「なんとかなるでしょって」
懐の広い人が自分に限らず、はっぴーで暮らす人たちみんなにある。
そういうところに触れられたことが人生において大きいなと。
――はっぴーの家ろっけんは葬儀も自分たちでやっていますよね。死が身近にある生活をしていて死生観は変わりましたか?
はっぴーに出会う前は、ずっと「死」が怖かったです。自分の家族の死にも怖くて立ち会えなかったです。自分のおじいちゃんが家で亡くなって、マンションの集会室でお葬式がありました。自分だけずっと7階にいて、7階からおじいちゃんが車で運ばれるのを見送っていました。子供ながらにその記憶が鮮明に残ってます。
それでも、はっぴーに出会ってからは、10回、20回葬儀見てきて、死としっかりと対面してきました。死ぬって、普通なんやと思えました。
――特に印象的なできごとはありますか?
朝に2階の入居者さんの部屋に入ったら、おじいちゃんが亡くなってたんです。その姿を見て、他の職員さんたちは「とうとう亡くなったんやな」って一階に仕事しに帰ってました。でも、僕は寂しそうだなと思って、亡くなったおじいちゃんの横でパソコン開いて普通に仕事してました。自分のじいちゃんは7階から見てたけど、知らんおじいちゃんの死とは向き合えたし、なんなら横で仕事してました。死が日常になってたんですよね。どう生きていきたいか考えることにも繋がったと思います。
――今は核家族が進んだことで、死が身近ではなくなっていますよね。はっぴーの家ろっけんで人生が変わるような多くの原体験をしていましたが、長くいた居場所を離れた理由は何ですか?
7年くらい付き合いがある中で、何者でも無いときから見守ってくれて、感謝ももちろんたくさんあります。それでも、あまりにも関係値が深くなったからこそ、一度距離感を変えてみたいと思い退職しました。あとは、他の仕事にもチャレンジしたいと思ったのも大きな理由になります。
当時についてのあきらさんが書いた記事です↓
――以前お話した際は、転職活動をしていて辛くなったと言っていましたね。その理由は何ですか?
現実ですかね?
自分はもともとネガティブだし、繊細で考えすぎる性格です。
根底には「なんとかなる」っていう考えはあるけど、書類を送る、落ちる、面接する、落ちる、経歴とか年齢とかを見られるし、そういう社会の現実を見てしまったんです。あとは、この期間はずっと間借り生活をしていたので、安心した生活ができてなくて、不健康な精神状態でした。同い年で成果を上げている人と自分を比較して自信を無くしたりもしました。
悩んで苦しんで、現実に押しつぶされた時が本当にしんどかった。
――就職活動をしていると自分が何を大切にして生きたいのか、自分らしさとかを見失いそうになりますよね。前回の価値観ワークで改めて見つけた、あきらさんの価値観や理想の生き方はありますか?
群れずに、染まらなずに、自分は自分、相手は相手というのを捉え続けたいと思います。
自分らしく自然体な状態で、できるだけ肩書も背景も異なる人と話せる人であり続けたいです。ビジネスマンとも話せるし、じいちゃんやばあちゃんとも話せるし、障がいがある人とも、はっぴーの家ろっけんという場所でなくても、この先ずっといろんな人と関わりたいですね。
あとは、変化もし続けたいです。その時々でやりたいと思ったことに蓋をせず、やるのが自由だと思っていますし、その過程で変化もし続けられると思います。
そのためには人間力と、ビジネスとして何かしら価値を提供することをします。自分の得意な書くこと聞くこと話すことでその価値を磨きたい。
40歳になって自分がどうなっているのかわからないけど、人間力と仕事の力を磨きつつ、自由と変化を自分の中で軸として生きたいです。
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――自然体、自由、変化、どれもあきらさんらしいキーワードですね。あきらさんの今までの人生からも伝わってきます。あきらさんにとっての理想の社会はありますか?
多種多様な人たちが共存している状態です。みんなが好きなことを楽しくやっていて、それに対して誰も妬みや陰口、否定するのではなく、あの人はあの人なんだ、へぇ、まあ、自分は自分でやっていこうって、良い距離感で関わっていけばいいと思います。それが僕が考えるダイバーシティだし、こっちとそっちがちゃんと分かれていて、その上で共存していたらいい。下手に混ぜたり、丸めこもうとしない方が平和だし、それぞれの個性が際立って面白いと思います。
――これからやりたいことはありますか?
一番直近だと、今やっているPRとプロジェクトマネージャーとしての仕事をどの現場にいたとしても発揮できるようにスキルを磨きたいです。
将来的には自分の名前で働けるようになったらいいですね。
キャリアブレイクが終わってからもなかなかすっきりしていなくて、なんだかまだ階段の踊り場にいる感じです。今は、次の階段を上るための準備期間ですかね。
もう少し遠い未来だと、多世代型の共同住宅を作りたいです。はっぴーの家ろっけんをはじめ、今まで多くのシェアハウスで住んできたので、その経験を活かして自分でも家を作ってみたいですね。
僕の価値観に変化と自由があるので、それを追い求めて外に出た時にも、帰れる居場所があったらいいし、同じような価値観を持っている人にとっても安心できる居場所になってほしいです。
コレクティブハウスへのさらに詳しい想いはこちらをご覧ください↓
世の中にはこんな変わった賃貸住宅があるんです!↓
――価値観ワークとインタビューを受けてくださってありがとうございました!
あきらさんは、初めてはっぴーの家ろっけんで会った時も、気さくにしゃべりかけてくれて、自分のテンポはあっても、他の人のリズムも受容してくれる温かさがあります。
自由気ままに群れたくないけど、居場所もほしい、自然体でいたいけど、時には変化や熱中もしたい、こんなギャップだらけのあきらさんですが、それが彼を作り上げる魅力のように感じます。
読者の方も気づいたと思いますが、あきらさんは面白い企業やコミュニティを見つける才能がありますよね。
彼と共通する価値観があるからか、紹介してくれた場所に全部興味をそそられます。笑
今後何をするのか全く予測がつかないあきらさんの人生を、少しでも気になった方がいましたが、彼のSNSをフォローしてチェックしてみてください!