全体-部分についての思弁的論考 1
1. 世界は全体によって表現される。
1.1. 全体は単に全体であって、部分の総体ではない。
1.2. 部分は全体の可能な反復によって指示される。
1.2.1. 可能な反復とは、全体が全体である限り、起こりうる総てのミニマルな事態を指す。
1.2.1.1. ミニマルな事態とは、あらゆる意味において特定の条件を伴わずに起こりうる、それ自体では散逸した事態または事態群を指す。
1.2.2. それゆえ、部分はそれだけで全体性を伴う事象を意味しない。この単一の語は、ただその意義のみによってわれわれに理解されるべきである。
1.3. 部分には可能な全体の全体像も含まれうる。
1.3.1. 可能な全体像とは、全体が全体である限り、反復によりそのもので閉じられたミニマルな事態の、そのいずれかに該当する反復の様式を指す。
1.3.1.1. すなわち、反復は可能に再帰的な定義を有する。ただし、われわれにとってそれが実現するために、現状求められた定義の性質は不十分かつ無関係である。
1.3.2. 「含まれうる」とは、部分が可能な全体の全体像のみによって、その現出が補助されえないことを示す言語使用である。
1.3.2.1. というのも、部分は全体の可能な反復である以上、部分の質料に相当する反復の様式以外の事態を、反復の様式から量的あるいは質的に区別することは不可能だからだ。
1.3.2.2. それでもなお、これらの弁別が可能なのは、全体が部分よりも先に措定されたことによる。
1.3.2.3. もし部分を全体に先行して措定すれば、反復が可能に再帰的な定義を有することが不可能になる。すなわち、部分が全体に先行するなら、全体はその全体像に基づくか基づかないかのどちらかである。
1.3.2.4. こうした帰結は、全体が全体像に基づかない場合の全体性を語りえない。よって、本論考は全体の先行的な措定を採用している。
1.4. よって、全体は全体像よりも大きい。すなわち、全体は全体を自体的に含まない。
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