1. 世界は全体によって表現される。 1.1. 全体は単に全体であって、部分の総体ではない。 1.2. 部分は全体の可能な反復によって指示される。 1.2.1. 可能な反復とは、全体が全体である限り、起こりうる総てのミニマルな事態を指す。 1.2.1.1. ミニマルな事態とは、あらゆる意味において特定の条件を伴わずに起こりうる、それ自体では散逸した事態または事態群を指す。 1.2.2. それゆえ、部分はそれだけで全体性を伴
おはようございます、同一です。 最近腰を痛めました。これが足元までしびれるタイプの痛みで、そろそろ医院へ行くことも検討しています。ですが、いいこともありました。そうした痛みから何とか逃れだせるように、背中や腰回りをひねってのばしたり、まるめるようにちぢませたりしているうちに、今まで気づかなかったことが不意に考えられるようになったのです。というわけで、今日は雑記としてそのへんをざっくばらんに書いてみます。 今日において、私は枢要のものとして生活を意識するようになりました
また記事を書いている。今度は雑記。
お久しぶりです、同一 / Neurospaceです。 さて、noteを投稿していない間なにをしていたかといいますと、実生活〔ordinariness〕から雑駁な着想を拾いあつめていました。 特に最近凝っていたのは「システム」の問いです(あるいは実生活を哲学上の問題としてとらえうるためにはそのようにするほかなかった)。 循環するシステムとしての定義 ここに「システム」の定義を設置します。 システムとは、 プリミティブ(再現不可能)な 事故 accidental が す
記事を書いていく。かなり調子が良くなった、最近は本当に良くなってきた。
数週間かけて思索していたシェーマCが、とりあえず今回の形で終結を迎えたろうと思う。もしもこれを読んでくださる方がいらっしゃれば、どんなものでも構いませんから、感想などをいただけると幸いです。
流石に体系としてまとめなければそろそろ情報がひっ迫してきた.また何か書こうと思います.
道徳の特権は黙ることだろう.
まず最初に書いておかなければならないのは,このnoteのアカウントに紐づけていたTwitterアカウントが凍結された,ということです.現時点(2023年2月3日17時頃)において詳細は判明していないものの,どうやらこの凍結は限定的なものではなく,Twitterにおいて全体的に行われた模様です.復帰はいつになるかは分かりませんが,しばらくはnoteで身も蓋もないことを書くことを続けようと思います. さて,実のところ,Twitterが一時的にでも凍結したのは私にとって僥倖でした