【小説】ジュエリー・メリケンサック
「お前ってつまらないよな」
彼氏はやることをしっかりやって、私の部屋から出ていったのが昨日の夜。
でも。
ショックで食事も喉を通らないとか、仕事もできないとかでもなく、普通に通勤し、定時で仕事を終えた。
私の部屋なのに、帰りたくないのは何故なんだろう。
だんだん無性にむしゃくしゃして、少しでも気分を変えるためにルミネに行く。
東京のルミネよりも、地元のルミネが落ち着いた。学生時代から背伸びをして買っているショップには、ずっと勤めている店員さんがいる。距離感を保ちつつ、にこやかに接客をしている彼女を見ると、私は少しほっとする。
ふらふらと見慣れたお店を眺め、店内を歩く人のおしゃれに心惹かれて、私の気はだいぶマシになっていた。
エスカレーターを下がろうとして、ふと視界の隅を掠めた、ショップに引きつけられた。
通路の隅に設けられたスペースは狭くこじんまりとして、店員さんは一人だけ。足を止めてディスプレイを眺める人に丁寧に言葉をかけていた。
店員さんの手元が光る。
全ての指に嵌められている、多彩なリングが見えたのだ。
エスカレーターの列から外れて、さながら光に誘われる虫だなとぼんやり思いながら、私はそのショップを眺めた。
安価な天然石をジュエリーにしているようで、手頃な価格のお店だった。ネックレスやピアスなどもあったが、ほとんどが指輪のラインナップだった。
「何かお探しですか?」
先程の店員さんが、気軽に声を掛けてくれる。単純に気分が上がって、私は柄にもなく素直に「こういうお店、初めてで」と言葉が出てきた。
「期間限定でこちらに出店してまして。どれも一点もののジュエリーになります。天然石のカットから指輪のデザインまですべて行っているんですよ」
店員さんの指を見る。さくらんぼのような大きさの天然石は赤く輝いていて、雫の形に象られた水色の天然石は、わずかに指が動くとその色を変えた。
十本の指に必ず一つの指輪が飾られて、二つや三つもついていたりする。均等に陳列された指輪よりも、指の動きに合わせて動く指輪のほうが、何倍も美しく見えた。
その柔らかい指に触れようとしたら、間違って硬い天然石が当たったりしないんだろうか。
「すごいですね……。ちょっと当たると痛そう」
「よく言われます。薔薇の棘みたいって。どれか気になって物があったら、お手にとって試してくださいね」
店員さんはくすくすと小さく笑って、私と指輪の間を橋渡しするとそっと引いてしまう。
ちょっとキザだなと思いながらも、確かにそうかもと納得する。
美しいものには棘がある。じゃあ、美しくないものには、棘がないのか。
いや、棘があるから美しく保たれるんじゃないか?
ふつふつと湧いてきた気持ちに、私は驚く。
気づけば、私は手を伸ばしていた。
恋人が素知らぬ顔で、私のマンションの出入り口近くで待ち伏せていた。
すらりと伸びた長い足に、紺のスーツがよく似合う。長めに伸ばした前髪が少し顔に掛かって目元を暗くしている。
私に気づくと彼は、すこし面映い顔をして近寄ってくる。
「ごめん」とつぶやいて、そっと私に伸びてくる手は、不自然さがまるでない。
認めよう。恋人はすごく魅力的だ。そして、その魅力がよく彼自身もわかっている。
雑に私を扱うのも、魅力的な自分がそうして然るべきだと思っているのも、私は知っている。いつもだったらそれを当たり前のように受け入れていた。
でも。
右手の甲で、彼の手を振り払う。筋肉を動かすだけで、その動作は驚くほど簡単だった。
彼は、予想以上に目をぎょっとさせてて、その反応は私にとっても予想外だった。
「ちょっと痛かったんだけど」
彼は手のひらをさする。
困ったように呟いた彼がいつもと違って、私はよくわからなくなる。
「でも、きれいだな、それ」
彼が顎でさしたそれは、私の利き手の指に嵌められた指輪たち。
店員さんにおすすめの色や似合う色を聞いて、集めた指輪たち。
誕生石のムーンストーンに、わずかにクラックが入る紫色のタンザナイト。鮮やかではないけど、落ち着いた水色のアクアマリン。
一番買うのに勇気が必要だった、ロッククリアクォーツの指輪は、夜の光を反射して一段と輝いていた。
「触ってもいい?」
珍しく問いかけられたその言葉に、私は動揺する。
でも、答えは決まっているのだ。
「ダメ」
慣れてない言動に、動悸がいつもよりも早くなる。
変わった自分が、私は嫌いじゃなかった。