文:ウィリアム・J・ロング(1867~1952年、アメリカ北東部で野生動物を観察して、多くの作品を書いた作家)
オオカミという生き物には、想像力をかきたてる何かが潜んでいる。そうでなければ、あれやこれやの逸話があるはずがない。
冬の夜、森を一人で歩いていたら突然、背後からオオカミの唸り声に襲われた、そういう経験がある人なら、その「何か」がわかるはず。
実のところ、そこにはなんの危険もないのだが。月に向かって吠え立てる犬と同じだ。しかし、影におおわれた森にいるせいで、あるいは昔話を思い出したことで、遠吠えが耳を震わせた途端、頭はオオカミへの恐怖でいっぱいになる。
だから、わたしがオオカミは人間を襲ったりしないと言っても、いやいやこういうことがあった、と反論するやつが必ず現われる。確かに、わたし自身、一度、シンリンオオカミの群れに追われたことがあるにはある。ただその終わりは、、、コメディだった。普通はその手の話の場合、むごたらしい終わりを迎えるものだ。
たとえば、オオカミの群れから命からがら逃れたある友人は、こんな風に話をする。
このとき、わたしは熱心に耳を傾けてはいたものの、この手の面白い狼話というのは、いつだってこんな風に話されるものだ、ということを心にとめていた。こういう話はマスの卵と同じで、冷たい水の中でのみ孵化するのだ。
話のつづきを聞こう。
わたしはこの狼話の概要だけざっと話している。残念なことだ。友人の話はイキイキとして臨場感たっぷりで、スリリングなことこの上なかったし、ここまでのところ嘘はない。わたしはこの話にすっかり浸りきり、十分な関心を示したあとで、こう彼に尋ねた。
「その晩、きみはオオカミの姿を見たのかい?」
「いや」 友人は率直にそう答えた。「見てないし、見たくもない。遠吠えだけでたくさんだった」
「オオカミがいない」ということを除けば、まことに良くできた話と言える。翌朝、友人と父親が銃を手に昨日の現場に戻ると、置いていったソリのそばにはオオカミの足跡はなかった。そこから離れた遠い森の中で、真新しいオオカミの足跡がたくさん発見されたという。オオカミの遠吠え、それだけでこの親子は想像力たくましく恐怖に陥り、2頭の足の速い馬のおかげで自分たちはなんとか死を免れた、と信じるに至ったわけだ。
もう一人の友人の話をしよう。
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オオカミと狼伝説 【その2】 3月27日(水)公開
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