crazyをどう訳す? これは差別語?
英日の翻訳をしていて、日本語にするのに困ることは結構あります。一つはその英語の言葉にあたる日本語(考え方、ものの見方)が存在しない場合。たとえばトランスジェンダー(英語圏では1965年ごろに造語された)とか。まあこれはもう、カタカナ表記で広まっているから、訳す必要はないとして。
title image : Insane graffiti, East London by duncan c(CC BY-NC 2.0)
あるいは該当する言葉は一応あっても、=で結べない場合があります。最近あった事例では、fieldとは何を指すかという疑問。ヨーロッパの田舎の風景が描写されていて、"meadows and fields"とあったとき、meadowの方はおそらく牧草地か干草畑のような家畜の放牧に関する土地だろうと想像するけれど、fieldの方は野菜などを植えた畑なのか、草原のような草の生えた広い場所のことなのか。これがわからない。
アメリカの友人に文例を見せて、このfieldは具体的には何を指しているのか、あなたはここから何をイメージするか、と訊いてみました。答えは「…anything but an open space - cultivated or not.」(畑であろうとなかろうと開けた場所) えっ、どっちでも気にしないんだ。。。でもどうして? 日本人からすると、畑とただの草地じゃ違うじゃん、と。
さらには、日本語にすると差別用語と言われる可能性のある言葉があります。たとえば CRAZY とか。こんな場面で出てきました。
これはハバハンネスという男が、相手から酷いあざけりの言葉を立て続けに受けて、言い返しているシーンです。腹が立って気も動転していて、それでcrazy, crazyと吠え立てているわけです。さあ、このcrazy、なんと訳したらいいでしょう。わたしは最初「このキチガイが、キチガイが!」としました。2回目のcrazyは「頭がおかしい」にしてあります。その方が収まりが良さそうだったから。
これを校正をしてもらっている人に渡したところ、「差別用語では?」と言われました。なるほどね、そうかもしれない。日本語の場合は。では英語のCRAZYは差別用語ではないのか。CARAZYの意味を調べてみると。
日本語の辞書も英語の辞書もおおよそのところ、指してる意味は同じです。ただ英語のcrazyはどうも差別用語の範囲ではなさそうです。ではcrazyと似た言葉で、madとかinsaneとかwackyとかlooneyはどうかと言うと、あとの二つは特に侮蔑的なニュアンスがありそう、でも差別用語には当たらないみたいです。この中でinsaneという言葉は、「精神障害の」という意味を含み、insane asylum / hospital は精神科の病院を指すようです。ただpsychiatry(精神医学、精神科)、psychiatric hospital の方がより適切かも。
そこで思い出すのが、大昔、日本では精神科の病院のことを「気違い病院」と言っていた時代があります。そこから考えられるのは、精神科の病院にかかるのは恥ずべきこと、隠すべきことというところがあった、そして今も全くないわけではない、ということ。それだけこの言葉には普通には使えないというニュアンスがありそうです。日本も最近はメンタルヘルスというカタカナの新しい言葉を導入することで、精神科に相談に行くことを特別視しない風潮は生まれているかもしれません。
差別語ということでもう一つ思い出したことがありました。ノンフィクション作家の上原善広さんの『私家版 差別用語辞典』(2011年、新潮社刊)です。「部落」「非人」「乞食」「下町」「おし」「つんぼ」「文盲」「らい病(ハンセン病)」「ブス」「土人」「外人」「チョンコ」などの言葉が、半ばエッセイのような感じで解説されています。解説というより、所感といった方が近いかもしれません。ただし各言葉の歴史的由来や、社会の中で問題になった事例、自主規制の理由、専門家の見方など記されていて、解説書の役割も充分果たしています。この中に「気違い」の項目がありました。
「気違い」の項:
まず「とにかくこの言葉についての抗議や自主規制は多い」とありました。やはり問題になりやすい言葉なのですね。
さらに読んでいくと、次のような文がありました。
なるほど、一つの事例がきっかけで、社会すべてに渡って使いにくい言葉になってしまった、ということのようです。こういうことは日本ではよくあることかもしれません。客商売をやっているお店などが、クレームが1件出たことでそのことを全面禁止にしてしまうといった。
たしかに「気違い」という言葉は、あまりいい使い方というものを思いつきません。誰か人に対して、「おまえは頭がおかしい」という意味で「おまえは気違いか」などと言うのは全然よくないですね。使わない方がいいと思います。でも小説や劇の中で、ある状況下で怒り狂った人が、そういう言葉を吐き捨てるように言うということはあると思います。そういうときにたとえば「おまえは精神障害者か」と言えばいいのか、意味が和らげられるのか、といえばそうじゃない。却って悪い印象かも。より真面目に指摘しているみたいで、意味が重くなりそう。
小説の中で、酷く侮辱されたため怒り狂った人(熱しやすくて知性も高いとは言い難いキャラクター)が、「crazy, crazy」と言う場合。その人がどんな言葉を吐くか、どういう風に怒りをぶつけるか、のリアルを翻訳者は考えます。劇作家もこういうシーンがあれば、なんと表現するか考えるでしょう。ある限定的な状況の中で、いかにも言いそうなもの言い(セリフ)は何か。
このような場合「きちがい」としたら、この言葉を肯定したことになるのか、こういうこと言う人を肯定したことになるのか、そうとは言えないと思います。
文脈や状況に関わらず、言葉だけを切り取って禁止事項にするというのは、理に合わない気がします。毎日放送に抗議した大家連も、アニメ番組『釣りキチ三平』については使用OKとしたらしいです。それ以外の例として、フジテレビのニュース番組で「ブラジル人はみんなサッカーキチガイです」と言ったら、大家連ではなく、解放同盟中央本部から差別用語だという抗議が来たとのこと。また講談社の『ベストカー』という雑誌のCMに「日本カーキチ図鑑!」があったため、大阪朝日放送は自主規制したということが『私家版 差別語辞典』にありました。
上原善広さんは、この本の「おわりにーーー成熟した社会への試み」の中で、「教育現場でも、子供たちに本当に伝えなければならないのは、言葉の言いかえなど小手先のことではなく、人権意識の高揚である」と書いています。日本社会は一般に人権意識が低い面があるので(政治家の失言と謝罪など)、子どもたちには、(親や先生など)身近な大人が普段から身を持って示すしかないのかなと。
ところで最近、ミシガン大学の音楽講座をコーセラで受けようとしたら、「あなたについて教えてください」というアンケート調査がありました。但し書きとして、「ミシガン大学は国籍や身体的障害、学歴、性的指向、性自認、年齢、民族、文化的アイデンティティを理由に差別をするつもりはありません。教育効果をあげるため、以下の質問に答えていただければと思います」といった文章がまずあって、以下細かい質問事項がずらりと並んでいました。そのリストにはちょっと驚きました。以下にその一部を書いてみます。(ただしこれは任意なので無視してもOKのようです)
これ、どうなんでしょう。思想がどうであれササッと「女に○ね」「えっと、わたしはノンバイナリー」という人がどれくらいいるのか。どんな人も一瞬、どうしようかなと思うのでは。自分で書き込むのと言いたくないがあるので、こういった質問は許される範囲なのか。一番無難で簡単なのは、言いたくないでしょうか。日本でも最近はこの項目が含まれることも多くなりました。
こちらはちょっと問題ありのように見えます。何十年も前だったらこだわりなく、えええっと、俺はAsianに○だな、となったかもしれませんが今は…….
この分け方おかしくない??と言う人はいるはず。Asianっていうのは住んでる場所のことを聞いてるわけじゃない。ドイツに住んでいようが、セネガルに住んでようが、家系的に、出自的にアジア由来ですか、と聞いてるんですね。Whiteの例がドイツ人とかアイルランド人っていうのもどうなのか。
一つ以上選べるみたいなので、たとえばAsianで、Blackで、Middle Eastとか? どういう人かというと、お父さんは中国系、お母さんのお母さんはプエルト・リコ人、お母さんのお父さんはシリアの血が入ってる、とか。もしわたしがそうだったら、面倒だからPrefer not to sayを選ぶかも。いったい何が知りたいんだろう、このアンケートはと疑問に思うかもしれない。
これだけ細かく分けているからいいというもんでもない気がします。そもそもBlack、Whiteの分類はほとんど意味がないわけだし。やっぱり何が知りたいんだろう、と思ってしまいます。
アンケートの最初の質問は、What country do you live in? どこに住んでるかでした。そうであれば、この所属についての質問というのは、人種や民族を聞いているわけです。どこに住んでいるか、以外にあるとしたら、どこで生まれましたか? あるいは育ちましたか? という質問はあり得るかもしれない。「日本に住んでいます。生まれたのはフィリピンです」「アルメニアに住んでいます。ナバホ自治領(アメリカ)で育ちました」のように。
ミシガン大学の講座自体には問題がないですが、このアンケートにはちょっと首を傾げました。差別をするつもりはない、だけど聞いておきたい。それによって学生をより深く把握して、教授法に役立てたい? 通るのかなぁ?