意外なヘンデル (......なんなら自由に)
作曲家のヘンデルをよく知る人から見たら、とんでもない勘違いなのですが、ずっと「バッハの影に隠れた地味な音楽家」と思っていました。日本の学校ではバッハは「音楽の父」、ヘンデルは「音楽の母」と習うようです。母? あまりいい例えじゃないですね。
ヘンデルはバッハより世俗的な音楽を書くことが多かったようで、バッハを真面目で深い音楽としたら、ヘンデルはもっと陽気でエンタメ性が高い、という説もあるようです。個人的には、そのあたりにも無知と勘違いがありました。ヘンデルは、バッハ以上にバロック性が高くてその内に収まっている人、そしておそらくバッハより洗練度が低い、などと思っていました。
そもそも「バロック」の意味も、時代的にはなんとなく把握していたものの、バロック → バロック喫茶?みたいなところがあって、ブランデンブルク協奏曲のイメージです(といっても、まともに聴いたことがない!)
う〜ん、ヘンデルについて書こうというのに、これではちょっと恥ずかしいかも。
バッハは好きなのに、これまでヘンデルに興味があまり向かなかった理由の一つとして、オペラやオラトリオを見たり聴いたりしないことがあるかもしれません。ヘンデルのオラトリオ『メサイア』は有名だそうですが、名前くらいしか知りません。
今回なぜヘンデルについて書いてみようと思ったかと言えば、(鍵盤楽器のための)組曲のいくつかを聴いて、なかなか良いなと思ったから。最初のきっかけはピアニストのチョ・ソンジンさんが、少し前に『ヘンデル・プロジェクト』というアルバムをリリースして、それを耳にしたことがあります。
そのアルバムは、ヘンデルの組曲から数曲と、ブラームスの『ヘンデルの主題による25の変奏曲とフーガ』を組み合わせた構成のものでした。そのアルバムの一番最後に入っていた、クラヴィーア組曲1番(ト短調・第4曲)「メヌエット」が、非常にシンプルで小さい曲ながら美しい作品で、ヘンデルはこのような楽曲を書く人なのだと感心し、意を改めたことがあります。
そもそも新アルバムがヘンデルと聞いて、チョ・ソンジンはずいぶん地味な選曲をしたものだなと最初は思いました。アルバムは売れるのだろうか、ピアニスト本人の企画だとしたら、レーベルのドイツ・グラモフォンはよく了承したな、とも。ピアノでヘンデルというのは、あまり聞かない気がします。自分の経験でいうと、ピアノを習っていた間(子ども時代、20代〜30代と合わせて15年くらい)、一度もヘンデルを課題にもらったことがありません。
『ヘンデル・プロジェクト』について言うと、チョ・ソンジンさんはあるインタビューで、ピアニストが人気のあるよく知られた曲ばかり弾いていたら、クラシック音楽の未来は失われる、というようなことを発言していたので、ヘンデルを選んだことには、そういった意味があるのかもしれない、とも想像していました。
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ト短調の「メヌエット」がとても良い曲だったので、自分で弾いてみようとIMSLP(ペトルッチ楽譜ライブラリー)にいって楽譜を手に入れました。シンプルな曲想、楽譜でたった1ページの短い曲で、技術的にも簡単に弾けるものでした。でも平凡ではなく、アピールしやすいメロディーラインを持ちながらも高潔さがあり、何度繰り返しても飽きがこないという、優れた作品がもつ特徴を有していました。
この曲がとても気に入ったので、他にもピアノで弾けるものはないか、もっとヘンデルのことが知りたいと、IMSLPの中を探してみました。そしてたまたまですが、8 Great Suites(HWV 426-433)という作品を見つけて聴いてみました。
これは『ハープシコード組曲第1集』が正式名称のようで、1番から8番までの組曲によって構成されています。それぞれの組曲には、プレリュード、アルマンド、パッサカリア、サラバンドといった小曲(舞曲)が4〜6曲含まれています。IMSLPのサイトでは、Commercialのところに新旧の108のアルバムが登録されていて、この数からすると人気のある楽曲のようです。ただし、全曲を録音したものはあまりないようで、3番、5番、7番を入れたものが目につきました。(このCommercialのアルバムはNAXOSレーベルのもので、年間の寄付登録者しか聴けません。それ以外の一般録音はこの作品に関しては登録がないようです)
最初に聴いたのがEvgeni Korolivという人のアルバムで、3番のみが録音されていて、ピアノによる演奏でした(ハープシコードでの演奏の方が多い)。この中で自分で弾いてみたいと思ったIII.アルマンドとV.エアをプリントしてみました。V.エアは5つの変奏がついていますが、とりあえず主題のみを。
このエアですが綴りはAir=空気、です。ん? と思って調べたらイタリア語のアリア(aria)のようで、イタリア語でもariaは空気、空、風、気配などの意味をもっていますが、音楽用語としては歌(詠唱)のことを指します。有名なバッハの『ゴルトベルク変奏曲』の主題も、アリアと呼ばれています。
組曲3番の「エア」は、12小節(楽譜で1ページ)の小さな曲(主題だからでしょう)で、左手は4分音符で(4分の4拍子を)刻んではいるものの、右手は64音符が音階風に並んでいたりで自由で解放的な感じ、これはなんだろうと。(勝手なイメージでは)バロックっぽくない気がしました。
また右手の最初の音の上に、モルデントみたいだけれど山が一つ多い装飾記号がついていて、どうやって弾くの?と。IMSLPの録音で確かめてみると、「ドーシドシドシドシドー」と弾く人、「ドシドシドー」という人、モルデントで「ドシドー」の人、と人それぞれでした。(調性:ニ短調)
最近バロックの装飾音でわかったのは、楽譜によって装飾音のつき方が違っていたり、演奏者の解釈もあってか、弾き方にかなりばらつきがあるということ。最初に紹介したト短調の「メヌエット」の場合も、わたしのプリントした楽譜にはたくさんの装飾音がついていたけれど、チョ・ソンジンさんの演奏ではかなり省かれていました。彼の場合は、「W.ケンプ編」とあったのでそれに準じているのかもしれません。
ちなみに、ヘンデルの自筆によるもの(かも?)と思われる楽譜では、以下のようになっていました。冒頭の音の装飾音はモルデントに見えます。
以前にわたしがついていた作曲家の先生は、「日本人には装飾音の奏法はなかなかわからない」と言っていました。で、ああ、日本の民謡を歌うときのあ〜〜あ〜あ〜〜〜みたいな喉の転がし方(こぶし)が、外国人には難しいのと同じかな、と思いました。演奏者に自由度がある程度あるといった。
バロック音楽の装飾音は、少なめの方が現代的な演奏に聞こえるかもしれない、いやそういうことではないのかも、などと考えてしまいます。
装飾音の弾き方に自由度があるとしたら、バロック音楽は案外即興性が求められるものなのかもしれない、のでしょうか。(ここでも知識の欠落が明らか)
実はこの「エア」、ちょっと弾いてみて、どう弾いたものか(こんなアバウトな弾き方でいいの?と)迷って一度やめました。が、思い直して、自分の好きなように(ある意味弾きたいように)弾いてみたらどうだろうか、と。普段、古典派でもロマン派でも現代曲でも、楽譜どおりにほぼ弾いていますが、即興演奏あるいは創作みたいな気分で、楽譜をベースにしつつ、自由な弾き方をしてみても面白いのでは、と思ったのです。
クラシックのピアノの場合、(習っていた年月が長いほど)なかなか楽譜から離れることができない傾向があります。習慣的に楽譜に従ってしまう。
今回はこの「エア」を遊びのつもりで、まったく違う気分で、弾いてみることにしました。装飾音の付け方だけでなく、拍の取り方、音の伸び、テンポの変化、揺れ、和音のアルペジオ、すべてを自由に解放して。
いやー、これが結構おもしろくて、ヘンデルが意図したものとは違うかもしれませんが、なかなかいいのです(と自分の耳には聞こえる)。弾くたびに変化する山場あり、興奮あり、熱さあり、で。かなり即興演奏に近い感じです。1回ずつ違う弾き方を楽しむなんてことは、ピアノ学習者であれば、あまり誉められたことではないのでしょうが。
でも音楽にはそういう面があっていいと思います!
何回か弾いてみたあと、思いついて、IMSLPのアルバムのピアニストたちはどう弾いているか、再度確かめてみました。これが、、、あれ、この人たちもけっこう自由に弾いてるじゃん! です。自分の演奏と、取り組み方としてはそう違いがありません。もしかしたら、この「エア」というのは、そういう風に弾いていい曲なのだろうか。アリアなんだから。歌なんだから。
こんな風に自由に弾いたことで、ヘンデルの印象がまた大きく変わりました。案外ロマンチックで熱い人なんだな、と。
17、18世紀の作曲家というのは、これまでにも弾いたことがあって、チマローザ、ガルッピなどのイタリア人、フランスのラモー、ドイツのC.P.E.バッハなどは比較的最近、好きになった人たちです。そしてこの人たちの意外な「熱さ」に好感をもっています。バロックをあまり知らない者にとって、バロック音楽というのは「端正でカッチリしている」というイメージがあったのですが、その中に好ましい人間味や熱さを秘めている、そんな風に感じています。
ヘンデルをピアノで弾いてみて、もともと好きだったバッハと同じように、素晴らしい作曲家なのだということがわかりました。そこでヘンデルがどのような人だったのか、ネットで少し調べてみました。
興味を引かれたのは、この作曲家がドイツに生まれながらも、イタリアやイギリスでも活動したり、住んだりしていたことです。モーツァルトが演奏旅行で、イタリアやドイツ、フランスに行ったことは聞いたことがありますが、一世代古いヘンデルの時代に、ヨーロッパの国々をまわることが、そして異国に居住することはどういうことだったのか。
調べてみると、鉄道ができるまでの時代、ヨーロッパでの移動手段は、徒歩、馬、馬車だったそうです。18世紀の半ばになってツーリズムが誕生するまでは、道路状況はかなり悪く、街道を行く馬車や旅行者の苦闘が記録にも残されているとか。ヨーロッパの中では交通において、フランスが進んでいたそうで、「1647 年にパリと 43 の地方都市を結ぶ主要交通路に定期の乗
合馬車が導入されている」(出典名不明:第 4 章 旅客鉄道誕生以前の旅行サービス)とあり、パリーリヨンの482kmを急行乗合馬車で5日間で走ったとありました。
イギリスでも18世紀後半には、道路舗装によって交通状況が飛躍的に改善されたそうです。が、ヘンデルは1759年没なので、その恩恵にはあずかれていないと思われます。当時道路の状況の悪さから、事故が多発していたそうで、ヘンデルも1750年に、ドイツ訪問の道中で馬車が転覆し負傷しています。
ヘンデルが初めてイギリスを訪れたのが、1710年、25歳のとき。その後、イタリアに行ったり、ドイツに戻ったりしつつも、1723年に英国王室の礼拝堂作曲家を任じられ、1727年にはイギリス国籍を取得しているとありました(Wikipedia日本語版)。ずっとイギリスに住んでいたかどうかわかりませんが、最後の居住地はロンドンでした。Wikipediaには「帰化した」とあるので、イギリス人として没したのだと思います。
そんなヘンデルが書いた英文が、上で紹介した『ハープシコード組曲第1集』の冒頭にありました。自筆と思われます。
ヘンデルの英語は、今井民子氏の<C.バーニーの 『ヘンデル略伝』>(弘前大学教育学部紀要 第92号)によれば、「彼は怒りっぽ い中にもユーモアを絶やさず,下手な英語を話す冗談好きな人物だった」とありますが、この文章を見るかぎり、外国人としてはそこそこ英語を使えていたように見えます。(a protectionなどの間違いはあるにしても)
ドイツに生まれ育ったヘンデルが、イギリスに住み、英語を使って生活していた(移民だった)というのは、「バロック時代の大作曲家」というイメージとは繋がりにくい気がしました。でも英語のオラトリオをいくつも書き、イギリス王のジョージ2世(ドイツ生まれ)の戴冠式のためのアンセムを書くなど、イギリス人として生きていた面が多かった(少なくとも人生の後半は)のかもしれない、と文献からはうかがえます。
ヨーロッパというのは、18世紀であっても、馬車しかなくとも、道路事情がひどかったとしても、各国間の人の行き来がそれなりに盛んだったのだろうということが、ヘンデルの音楽活動を見てわかりました。
最後にNAXOSの『8 Great Suites』の録音の中で、ハンス・ポルソン(Hans Pålsson)というスウェーデンのピアニストの組曲3番の「エア」を紹介します(上の楽譜の曲)。『Hans Pålsson – Från Barock Till Nutid』というアルバムの4番目に入っているのですが、これが、、、、「エア」の前に、エアのエア(主題)みたいな短い導入曲があります。ポルソンの即興演奏なのか、どの楽譜にもこの部分はありません。メロディーラインは明らかに同曲です。バスとメロディのみのように聞こえる音数の超シンプルなもので、これはいったい何だろう、と。
こんなことも許されるのだとしたら、バロック音楽というのは、思っていたものとは全然ちがって、すごく自由で解放的な音楽なのかもしれません。