「親切」って言葉を考えてみた。<原爆の日>
こんにちは。note3日目です。本日は原爆の日ですね。本日はお出かけ中に出会ったおじいさんの話をしようと思います。
信号待ちしてる時に突然話しかけられた。
「今日は暑いですねえ。」
(…え?私?)
「ええ、そうですね。」
「私は家にいても一人だから話し相手がいないんですよ。しばらく話をしてくれませんか?」
「…え、ええ。大丈夫ですよ。」
だいたいこんな感じのやり取りでした。「そんなんさっさと撒けば良いだろ」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は知らない人にいきなり何かを頼まれるのは拒めないんです。商店街にいるアヤシゲな勧誘とかは察知して違和感のない程度にスルーするのですが、いきなり後ろから声を掛けられるのは、日傘で見えないので流石に撒きようがありませんでした。それに、特に急ぎの用事もなく、私も一人だったので、まあ暇つぶしという感じでおじいさんの話に乗りました。
おじいさんとの会話
話したのは他愛もないものばかりで、「将来何になりたいの?」「英語の先生です」「お〜!イングリッシュか!ええのお!」とか、
「彼氏ほしいとか思うことある?」「う〜ん、そう思ってた時期もありましたけど、今はあまり興味無いですね〜(好きな同性の方がいるのはここでは秘密です)」とか、ほぼ当たり障りのないものでした。
「私はこれからここの本屋に行きます。」
私がデパートのエレベーターの前でそう言うと、
「そうか、じゃあこのあたりでお別れじゃね。また寂しくなる。」
と、言って、私と一緒にエレベーターを待ちました。
別れ際におじいさんが話しだしたのは、
「もうすぐ原爆の日じゃね。」
という、一応私の地元ではよくあるといえばある言葉。
「そうですね。」
「今年もみんなで学校とかに集まって集会とかするんかね」
「今年は無理だと思います。私の学校では家で式典の映像を見ることになっているんです。」
「お〜そうかい。そういえば式典も縮小されるらしい。安倍さん来るんかね?」
「え、どうでしょう、分からないです。」
「そうか。でもな、戦争は悲惨で、絶対起こしちゃいけないものなんだ。戦争は人々の全てを奪うんだ。」
「…そうですね。」
私はこの人を「おじいさん」と呼んでいるけれど、毛は黒く、まだ若く見える気もしました。でも私には、このおじいさんが本気で、心の底から戦争の恐ろしさを知っている気がしたんです。もしかしたら、ご自身が戦争経験者なのかもしれない。そうでないとしても、生まれていなかったり、物心がついていないうちにご家族を失われたか…。あくまで想像でしかありませんので実際はどうなのかわかりません。
おじいさんとの会話で思ったこと。
このおじいさんとの会話で、私は「親切」について少し考えてみました。
おじいさんは先程も述べたように一人暮らしで、おそらく普段から街中で話し相手を探しているのでしょう。あとから思い出したのですが、あの人は以前も私に話しかけたことがありました。
ただ、決して皆が皆私のように話しているとは限りません。突然話しかけられて、びっくりして、はははとか笑いながら足早に去っていく人も少なくはないでしょう。実際、おじいさんも「ありがとう、あなたのように優しい人はなかなかいないよ」と仰っていました(お世辞で言ったのかもしれませんが)。私自身、別に親切のつもりで話していたわけではありません。私だって最初は少しめんどくさいとは思いましたよ。
でも、意外と、「親切にしよう」と必死にならなくても、優しさはそこら中に転がっているのかなと思います。たとえその行為に親切心がなかったとしても、相手が嬉しいなら、それはそれで良いのではと、考えています。
よくわからない文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。もし、私のnoteや、twitter(@hapinosekumai)に興味を持っていただけたら、コメント欄やリプ欄にて絡んでいただけると嬉しいです!
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