「ダサい、蒸れる、危ない」
私がするする詐欺(※すると言ってしていないこと)をしていることの一つに、「ヘルメットを買うこと」がある。
いつの時期かヘルメット着用が努力義務になり、
「世間の流れはそうなっているのね。まあでも私は大丈夫」
なんて根拠のない無責任な考え方をしていたわけだが、
ヘルメット着用が努力義務になってから周囲でもヘルメット人口が増えてきて、段々と居心地が悪くなってきた。
「ま、、、、、まあでも大丈夫だよ……」と強がっていたのだが、致命的なことにうちの真面目一本の兄が実家に帰ってきてしまった。
兄は北陸の大学院に通っていたのだが、先日晴れて大学院を卒業し岡山県の実家に帰ってきたのである。
この兄が酒は飲まない、煙草は吸わない、パチンコは行かない、彼女は作らない、趣味はパソコンという、絵に描いた「堅物」である。
かたや私は、酒は飲む、ルールは破る、男遊びはする、自分が良ければいいと思っている非常識のチャランポランである。もちろんヘルメットも被らない。
そんな中、兄が「ヘルメットは命を守るために当然するものである」と語るのである。
ちなみに兄も自転車に乗るが、当然ヘルメットを被っている。
「そりゃそうだけどさ~、わざわざしないといけないものなの?」
と、私はうだつの上がらないちびまる子ちゃんのようにぐだぐだと言っていたわけである。
私がここまでして、ヘルメットに抵抗する理由は3つある。
① まず、ダサい。
② 次に、暑い。蒸れる。
③ そして、グラグラして危ない。
そしてこれらの記憶は、全て「中学校の時代の白くて堅い、黄色いラインの入っているヘルメット」に起因している。
中学校の時、私は自転車通学だった。そしてその時のヘルメットはサイズが合っていなかったのか、走っていると目にかかり走行上危険なこと極まりなかった。
また、冬でも暑くて蒸れた。頭皮が痒くなり、途中で自転車を止めてかきむしったことも少なくない。
そして重たい。曲がる時など特に揺れて頭本体が持って行かれて危ないことこの上なかった。
これらの理由から私は「ヘルメットを被るとむしろ危ない」と抵抗していたのである。
しかし、堅物兄の無言の圧力も受け、とうとう先日シブシブ重い腰を上げてサイクリングショップに出頭したのである。
(ちなみに前段階として父が家にある中学校の時のヘルメットを出してくれたのだが、大いに黄ばんでクッション材もボロボロになっていたので、恐れをなして店に足を運んだという経緯がある)
当日も半信半疑でサイクリングショップに向かったわけだが、いざ店頭で店員さんからいくつかヘルメットを出してもらい説明を受けると、その神話は大いに覆された。
まず、
① ダサい。→かっこいい!網目状になっていて被ったら昆虫みたいに見えるんじゃないかと恐れていたが、意外とイケていた。また、私は買おうと思わなかったが帽子型などもあり工夫がされていた。
② 暑い。蒸れる。→全然暑くない!むしろ普通の帽子より通気性がいいくらいだった。
③ グラグラして危ない。→全然重くない!むしろ被っているのを忘れてしまいそうだった。
自分の思い込みが払拭されたことにテンションが上がり、店員さんとキャッキャと話をしてショップでの時間を楽しんだのである。
聞いたところによると、最近の小中学生はヘルメットに規定がないとのことで、グラグラ蒸れ蒸れのヘルメットを被らなくてよくて何よりである。
ヘルメットには大変そそられたのだが、私の住んでいる地域だとこれからの時期は雪が降り、自転車は乗らなくなるため春になったら可愛いヘルメットを買おう、と心に決めてその日はショップを後にしたのである。
そして後日、アルバイト先の同僚にヘルメット神話が覆された興奮も交えその話をしてみた。すると、あっさり、
「うちに使ってないヘルメットあるから、あげるよ~」
と言ってもらえカッコいいグレーのヘルメットを譲り受けさせてもらえることになったのである。
ヘルメットくらい買えばいいのだが、使えるものがあるならそれはありがたい話である。
(ちなみにこの件に関して堅物兄からは、「自分のサイズに合うものをちゃんと買いなさい」と苦言を呈された)
つくづく、記憶はアップデートしないといけないな、と感じたエピソードであった。
そして、来年の春からは常識人の仲間入りをして(?)、自転車生活を楽しむぞと、来春が今から楽しみになってきた真冬の今日この頃である。
皆さん、よいお年をお迎えください。
【2023年、終わり】