【社福国試対策】貧困の歴史
今回のテーマは「貧困の歴史」です。
⚫︎貧困観の変化
かつて貧困は、個人による責任だと考えられていました。そのため、貧困に対する国の救済措置というのはとても限定的で、人権や尊厳などが踏まえられていない内容でした。
それが、ブースのロンドン調査などにより、貧困は個人だけの問題ではなく、社会的な問題であると認識されるように変わっていきました。
こうした流れを汲み、日本の生活保護法にも、国家責任や無差別平ということが明記されるようになりました。
【ポイント】
⚫︎ブースのロンドン調査(絶対的貧困)
→世界初の科学的調査。
→貧困に陥る要因には、①雇用 ②環境 ③生活習慣があり、社会による問題であることを明らかにした。
⚫︎ラウントリーのヨーク市の調査(絶対的貧困)
→マーケットバスケット方式による調査を実施。
→第一次貧困線(肉体を維持できないほどの貧困状態)と第二次貧困線(浪費しなければ肉体を維持できる状態)を提唱。
→貧困とライフイサイクルの関連を指摘。人生の中で貧困に陥る時期が3回ある(①低年齢期 ②子育て期 ③高齢期)ことを明らかにした。
⚫︎タウンゼント(相対的貧困)
→相対的剥奪(普通の人が手に入れられる物質的資源や社会参加が手に入れられない状態)を唱えた。
→豊かな世界にも貧困があることを指摘し、「貧困の再発見」となった。
⚫︎1989年:恤救規則
・貧困は個人の責任と捉えられていた時代。そのため、国が救済する義務はなく、「人民情誼」(家族などによる助け合い)が求められた。
・対象:無告の窮民で居宅にいる者のみ。
・救済内容:米代とわずかな現金
【無告の窮民】
・70歳以上の老衰者
(当時の70歳というと、とても長寿。対象者はかなり限定されていたことが分かりますね。)
・13歳以下の子ども
(今でいう小学生くらいまでですね。)
・障害者など
⚫︎1929年:救護法
・はじめて国による「公的扶助義務」が明記された。
・居宅救済を原則としつつ、救護施設(養老院、孤児院)もつくった。
・対象:①65歳以上の老衰者 ②13歳以下の子ども ③障害者
・救済内容:①生活扶助 ②医療扶助 ③助産扶助 ④生業扶助 + 葬祭費
・補助機関:方面委員
⚫︎1950年:旧生活保護法
・「国家責任」「無差別平等」が明記。
・ただし、勤労意欲がない者や素行不良な者などは対象外とする欠格事項あり。
・保護請求権、不服申立て権:なし
・救済内容:4つの扶助に⑤葬祭費が追加。
・補助機関:民生委員
⚫︎1960年:生活保護法
・欠格事項:なし
・保護請求権、不服申立権:あり
・救済内容:5つの扶助に⑥住宅扶助と⑦教育扶助が追加。
・協力機関:民生委員
・補助機関:社会福祉主事
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