覇王樹の歴史 その2
臼井 大翼 Usui Taiyoku
臼井大翼は、東聲と共に「覇王樹」を創刊しました。東聲亡き後、第二代目の主宰になりました。大翼の晩年は、戦時下の雑誌の統廃合・復刊など、受難の時代でした。大翼は、最後まで、「覇王樹」を懸命に守りました。
『臼井大翼歌集』(昭和45年8月)は、覇王樹五十周年事業の一環として、松井如流・小林周義等を中心に刊行される。第一歌集『私燭』も収録。それ以後の歌も出来るだけ収載に努めた。松井如流は、同書のあとがきに「大翼の歌は、佶屈晦渋だという評を受けたことがあるが、元来は抒情詩人で情趣に富み、その上神経が細く、使用する文字にも特別の好みがある」といっている。
臼井大翼の歌
都べに春ぞかへれり生きの身のくやしきことはかへすすべなし
暑き日の午睡さめたる夕翳にさびしきことをわれは思へり
松の間に海の潮風はふかかりき浜のしら砂を浄くわが踏む
かたむきて日にあたたまる庭芝の枯生はいろのしづかなるもの
夕なぎのさびて明るくゐるときに門べの砂利を人ふみゆけり
恥いくつ加ふるごとく歌よめり身につもりては恥も愛しも
泣きやみて部屋に入り来し孫の眼のうたがはず寄るをやはらかに抱く
字を書くと歌をつくるとはかなごと時に疾のごとわれを虐む