覇王樹の歴史 その3
松井 如流 Matsui Joryu
松井如流は、臼井大翼亡き後の受難時代を乗り切り、「覇王樹」の主宰となりました。書家として第一線を歩むとともに、「覇王樹」をまとめて行きました。本誌の題字は如流の書です。
現代の三筆と言われた如流は、書家として、歌人として、その功績において著しいものがあった。松井如流が編集発行人となった「覇王樹」34巻6号(昭和29年)。
松井如流の歌
少年われ寂しく育ちて送盆を母と見し日は町暗らかりき
書を書き通したる生涯の終局をひそかにゑがき寂しむ日もあり
君が一生をかけし歌なり玉のごといつくしまるべし幾世の後も
瞬間を生きつづけながら遂に死ぬ真実はそれだけしかないのです
阿呆の一生といはれても悔いなしと思ひ至るまで堪へこしかずかず
幼孫の頬のやうなるふくらみの花弁の開く泰山木の花
橋田家の六つの墓ある丘の上先生のみ墓が追加され古る
大切にお金あつかふ妻みれば計へきれぬほど与へてみたき