「覇王樹」の前身、「珊瑚礁」の総目次を作成
「覇王樹」の前身、「珊瑚礁」の総目次を作成しました!
~ 大正期の歌人や文人が多く寄稿しています ~ (平成26年2月)
「珊瑚礁」総目次刊行に寄せて
「珊瑚礁」は大正六年三月、四海多實三、森園天涙、橋田東聲、中山雅吉、岩谷莫哀、今村沙人、橘小華等によって創刊された。
「珊瑚礁」の前身は、明治四十一年、貴田實、今村静男、青山清華、森脇紫径、森園天涙、四海多實三等が起こした「白楊会」で、回覧雑誌を発行していた。後に「覇王樹」を創刊した橋田東聲も、鹿児島第七高等学校在学中に森園天涙から「白楊会」への入会を勧められて参加した。
大正四年秋、当時四谷に住んでいた橋田東聲を森園天涙が訪ねた。既に四海多實三は、東京市裏神保町の光風館に勤めていたが、そこに森園天涙も入社した。これがきっかけで、大正五年秋、昔の「白楊会」のメンバーが集まる話題が出て「珊瑚礁」創刊に至った(以上「珊瑚礁」創刊号の橋田東聲「珊瑚礁の生まるるまで」による)。
第三巻第三号(大正八年六月)で廃刊になった理由を終刊号の「編輯後記」で鎌田虚焼と橘小華が記している。
それによれば、発売元の光風館が例年になく多忙であったこと、編輯当番であった橋田東聲が、スペイン風邪に罹り枕も上がらなかったこと、臼井大翼は会社の決算期、中山雅吉は学校勤務が忙しく、鎌田は絶対安静であったとのことである。五月号を増大号にしようとしたが、遅延になり、六月の刊行にて終刊とし、四海多實三と中山雅吉が「行人」を、橋田東聲と臼井大翼が「覇王樹」を創刊することにしたとある。終刊号には、大正八年五月十一日に撮影した「珊瑚礁」主要メンバーの写真が掲載されている。
「珊瑚礁」創刊号巻頭言には、創刊の言葉が掲げてある。これは確固たる文芸主張を述べたものではないが、短歌を中心とした総合文芸誌の形態で、大正期の自由な文化的基盤の中で生まれたことは確かである。また、「珊瑚礁」は中山雅吉や橋田東聲の写生論が掲載された雑誌でもある。
「珊瑚礁」は、散逸して入手が困難であった。ところが、近年、近代文学館に揃い、マイクロフィルムの閲覧及び複写が可能になった。また、同じ頃、扶桑書房から「珊瑚礁」の合本(第一巻第七号~第二巻第六号まで)を入手することが出来た。
去る平成二十二年八月刊行の「覇王樹」九十周年記念特大号の「覇王樹」創刊号~昭和二十九年までの総目次作成中より「覇王樹」前身の「珊瑚礁」の実態を知りたいという欲求が生じていた。ここに「珊瑚礁」目次入力者の協力を得て、「珊瑚礁総目次」の刊行を実現することが出来た次第である。
通巻二十五号の短期間の雑誌であったが、当時の歌人達が多く寄稿している。埋もれた雑誌として、近代短歌研究の一助となれば幸いである。なお、入力違いや確認不足など、大方のご批正を頂ければ有り難い。
平成二十六年二月五日
覇王樹社代表
佐田 毅
覇王樹社運営委員
佐田 公子
❖「珊瑚礁」総目次
平成26年3月25日発行(定価千円)印刷 モリモト印刷(株)
❖「珊瑚礁」総目次に興味のある方は、覇王樹社事務室 佐田宛てまでご連絡下さい。