コネの世界①
嘗ての同僚である友人が遊びに来た。年度末で職を離れて以来、無職同士の身の上だ。就職活動に積極的に取り組んでいるにも関わらず、なかなか次が決まらない私と、子どもの為に時間とお金の狭間で揺れている彼女とでは、大分立ち位置が違ってはいるが、お互い、携わっていた仕事を愛していたという点では共通している。
共に表向きでは、任用期間の終了による退職であった。但し、根っこにあるものはそんなあっさりとしたものではない。彼女が去った私の元職場は、特殊な場所であった。
彼女は顔の広い人である。友人知人が、携帯電話のアドレス帳から溢れるぐらい居るらしい。しかしどれも〝浅く広く〟というわけでなく、〝深く広く〟付き合っているというから尊敬する。依って、その情報網も半端ではない。そんな彼女から、元職場の裏事情を聞いた。
元職場の所長と呼ばれる人は、パワハラで訴えられてもおかしくないような人だった…というのは、彼女と私の中では既に成立した常識だ。しかし本人にそのような意識はない。公務員は市民に対し、上からの目線で接するものだと考えているような人である。依って、市民からの苦情も人一倍だったのだが、本人はそれを真摯に受け止めるどころか、右から左へと横流しするような人だった。
友人は未だに怒っている。嘗ての上司は、役所に勤める更に上の上司に、彼女に関するあることないことを吹聴していたのである。その一つとして、彼女が退職を選んだ理由があった。
「あの子も子どもさんが大変やから…」
「うちの正規の○○さんが嫌で辞めるらしいわ」
確かに友人は、子どものことで悩んでいた。しかし子育てに悩まない親などいるだろうか?私は子育てに携わった経験はないが、子育てに携わっている親と関わる仕事を、長年経験していた。子育てに悩まない親…もしかしたら居たのかも知れないが、数え切れないほどの保護者を見て来て、そんな人は一人もいなかったように思う。一見悩んでいないように見えても、大なり小なり考えることの一つや二つは誰しも持っている。また、悩んでいないように見える親とは、逆に問題を見ないようにして逃げているか、問題に気付けないことで、反って周りが気にかけないといけないような人達であった。
〝子どもが問題を抱えていて大変だから仕事を辞める〟
そういうのも、退職の理由としては有り得ない話ではない。しかし友人の場合は違った。任用満了ではあったが、任用期間更新の為に、試験を受ける余地は残っていた。彼女はそれを受けなかった理由として、自身の体調問題を上げていたのだが、その問題が引き起こされた理由を「○○さんが嫌で…」としたところも違っていた。実際の理由として、〝○○さん〟が全く関与していないわけではない。但し、彼女の話に因ると、〝○○さん〟は理由の一角に成り得ても、直接の原因ではなく、むしろ直接の原因となるべく存在しているのは所長本人や、その所長を裏から操っている△△という人であるというのであった。
私が彼女と働いた職場を去ったのは、更新試験に落ちたせいである。受けないことを決めていた試験を、勧められて受けた結果、落とされたというのが事実上の理由であった。勧められても受けないという選択肢もあったが、私は〝受けない〟と決めた背後で、仕事を愛する希望を捨て切れずにいた。その希望を糧に、困難をも打ち砕ける気がしたのだ。私は希望に希望を見出して、そして打ち砕かれたのだ。
私が〝受けない〟と決めた時、その直接的原因を作った人が所長であり、△△であった。彼らとの関わりを通じて、私は自らの自尊感情と自己肯定感を失墜した。
簡単に言うと、所長は仕事をしない人である。そして自らの部下が仕事をしていようがいまいが、自分の気分で持ち上げたり突き落としたりする。私は何度も「そんなん今せんでいいから、△△さんの仕事手伝い」と言われた。しかし実際、職場で一番の激務に追われていたのは所長でも△△でもない。私か友人なのであった。
私達は△△が激務に追われているのを見たことがない。自分の仕事は、全て他の人間に振る。フリートークを楽しんでも、デスクの下でスマホをいじっていても、仕事はしないのである。
友人は言った。
「△△さんは、仕事、出来るくせにせぇへん」
私はその言葉さえ信じ難いと思っている。仕事が出来る人は、仕事をしないという選択をしない。そんな輩は口だけの卑怯者で、仕事が出来るとは言わない。彼女は昔、こんなことを言って私を脅威させた。
「仕事が出来る人は、全部自分一人でしようとはしない。上手に皆に振り分ける」
ある意味正しいことなのかも知れないが、これを「仕事が出来る」と定義することを、私は拒否したかった。一方で私は、自分が『仕事が出来ない人間だから、全部自分でやり遂げようとするのだ』と思った。私は「忙しい」と嘯きながら遊び呆けているようにしか見えない他のスタッフに、頼る力量が無かった。「忙しい」と言っている人には頼めない…。ならば自分に振り当てられたものが他の人の何倍もの容量を抱えていても、自分一人でやり遂げる必要があるのだと解釈した。
当時彼女が言った言葉を、再会した時に訊ねてみれば良かったと思う。「あの言葉は本心か?」と。今でも本心であったと言い切るなら、彼女を退職の道へ追い込んだ所長や△△の態度をどう受け止めているのか、そこのところを知りたかった。