奇跡の子 ②
〝お義父さんに会わせる〟が最優先事項の東京組は、新幹線で帰省し、年末30日から夫の実家に泊まる。明けて2日に我が家をレンタカーで訪れ、日帰りで夫の実家へ戻って、翌日東京へ戻ることになった。
誕生から産後暫くまでの成長を、間近で見るのを楽しみにしていた私は、宛てが外れてすっかり姪っ子への興味を失っていたが、お義父さんには会わせてあげて欲しかった。
年末の恒例行事で、私は父と、毎年大喧嘩になる。隅から隅まで拭き清める大掃除の邪魔を、親父が恒例行事の如く無意識に行うある事象による内戦…。本人にそんな気はなく、結果として自分が自由にならないあれこれを火種に、内戦を悪化させる。わけのわからない自己正当化のLINEを、実家を出ている我が弟妹に送り付け、それぞれがこちらへ連絡を寄こす。
「また喧嘩したんやってなぁ?」
今回酷いことになったのは、余計な情報を齎した父親が、妹に対してこう書き送ったからだ。
「こんな家、帰ってきても良いことないから、帰ってこん方が良いで」
矛先は私に向かう。
「喧嘩したから帰ってくんなとか、こっちを巻き込まんとって!」
妹からのLINEに、静かにブチ切れる。
「それ…私に言わんと親父に言え。私はあんたを巻き込んでない」
我が弟妹は、私や母の、父に対する愚痴を「聞きたくない!」の一言でシャットダウンしてきた。イコール、私も母も、弟妹には言わない。言っても仕方ない。こちらが傷付くだけだとわかったからだ。今回、「また喧嘩したんやってなぁ?」と聞くので、事情を説明はしたが、こっちから振った話では一切無いのだ。
内戦の火種は、思わぬところまで飛んだ。年末大掃除の最中、上の娘を連れてやってきた弟が、来るなり母に言った。
「また喧嘩したんやってなぁ?」
事情を話し出した母をシャットアウトするように、弟が一刀両断する。
「喧嘩なんかお互い様や」
洗面脱衣所の床をメラミンスポンジで擦りながら、弟家族をもてなすための夕食を下ごしらえしている母に対し言葉が荒くなりだした弟の気配を察したとき、こいつは何をしに来たんだろう…と思った。内戦の趣旨とはまるで違う話で、母が一方的に攻められる。思わずスポンジを放り出した。
「あんた、もう帰った方が良いわ」
弟の激情は止まらない。一方的に母を責め立てる弟の間に入る。
「話するから親父呼んで来いや!」
怒鳴られてブチ切れた。
「なんで私が呼びに行かなあかんねん。自分で呼びに行けっ!」
弟はきょとんとしている二歳児を抱えたまま、大股で階段を下りて行った。
息子の呼びかけに、父親は応じなかった。
「もうええ」
階下から親父の声が聞こえる。そうであろうとも。来ないことはわかっていた。話し合いになれば、自分が負ける要因が山ほどあることを、ある程度分かっているのだ。家を離れた息子や娘には、自分にとって不利になるような話は、一切伝えていない。そういう人間なのである。
上がってきた弟は言った。
「帰るわ。正月ももう、けぇへんから」
言い放って出て行き、再び戻ってきたので何事かと思ったら、子どものための大荷物を忘れて取りに来ただけであった。
結局お前は何をしに来たのだ…。
以来、弟家族の姿は見ていない。彼が自分の妻にどう話したか、逆に話していないか、妻は敢えて聞かないのか、聞いたが知らん顔をしているのか…例年通り、ご丁寧な新年の挨拶だけが、彼女からLINEで送られて来たので、こちらも年末の件には触れずにおいた。
年明け2日、予告通り妹家族が訪れた。生後4ヶ月半の姪っ子は思いの外小さく、驚くほどご機嫌で、よく笑い、よく喋った。
母と私が、「どんな顔をして帰って来るつもりだろう…」と話していたアホの妹は、夫と娘という鎧を盾に、何事もなかったように平気な顔をして帰って来た。娘を披露するために呼び付けた幼馴染の母娘が、突然訪問してきたことも大きい。調子ぶっこいているアホを後目に、6人分のコーヒーをドリップして入れながら、私は内心イライラした。
母が育てた山のような野菜をレンタカーのトランクに積み、ご機嫌なまま妹家族は帰って行った。ぐったり疲れたのは我が犬も同じだったようだ。子ども好きな彼だが、刺激が多すぎて気を使うのも事実らしい。
半月後、お義父さんが再び緊急搬送された。今回はいよいよ危険な状態らしく、妹の夫は慌てて新幹線に飛び乗った。数日の滞在ののち、容体が安定したらしく、一旦東京に戻った彼は、翌日出かけた出張先の長野で、父親の訃報を受けたのであった。