4月17日
仕事が決まる目途など立たないうちから、5月就業を視野に入れて、今月中に終わらせる目標を立てていた“衣替え”に、昨日一日を費やした。パソコンの電源を入れなかったのは久しぶりだ。因みにスマホの電源も、夕方まで入れなかった。手軽に触れる情報ツールは、集中力の妨げになる。
と書いてはいるが、衣替えに集中出来ていたわけではない。頭の中には仕事の不安がずっとあって、好天と爽やかな強風が、どう考えても長続きしないと予想がついている“決まった仕事”というものを、『やってみたら出来るのではないか?』と錯覚させる。しかしそれはあくまで一時的な感情であり、数時間後には現実的に我に返るのだ。
石橋を叩き過ぎて結局渡らないのは悪い癖だと自覚している。しかし、自分に嘘をついて無理に始めた仕事が長続きしないのは、過去の経験で充分学習した。なのに同じことを繰り返しているということも、しっかりと自覚している。
先月末、立ち寄った本屋でたまたま見つけた気になる本が、予約していた図書館でようやく受け取れた。返却しなければならない本の優先順位が下だったため、二日前にようやく読み始めたところだが、妹が私に言ったことと似たようなニュアンスの言葉がいくつも書いてあった。
【自分の居場所を間違えない】
その一言が、私を雇ってくれようとしている会社を“自分の居場所”と示しているわけではないと捉えたのは、その文章の前に【先行きに不安を感じているのなら、それは、あなたが本当にいるべき場所にいないから】だと書かれてあったからだ。
年々、我儘になっている気はしている。
この年になれば、雇ってくれるところを探す方が難しいし、ある程度妥協しなければ仕事なんて見つからないのだと、何処を調べてもそんな情報ばかりで、それが現実論だ。
しかし私は自分の職業人生を諦められない。諦めれば何らかの仕事には就けるかも知れないが、私という人間の人生を、心健やかに生き続けることを、諦めなければならなくなる。
もう、我慢はいっぱいした。
暫くやりたいことだけをやってみようかと思っている。やりたいことは、仕事が充実しているからこそ楽しめるのだという思いも、実は強い。一方で、仕事が忙しいのを言い訳に、したいくせに先延ばしにしていたことも山のようにある。それらを片っ端からやってみてはどうだろう?
ようやくきちんと読んだ、“一生の仕事を見つける方法”に関するコラムが、今、少し私の背中を押している。
◎人生の終わりに立ったつもりで、自分の本当の欲求を探ってみる
◎お金をもらわなくてもやりたいことを考える
このふたつを実践することで、今日までの“同じことの繰り返し”から脱したい。
“本当の欲求”に意識を置き、その方向に一歩踏み出すことで、『気がつけば天職を手に入れている』という未来に近づける。自分の生きる道を決めるのに、『こうすべき』はない。
その言葉を、信じて一歩進んでみようと思う。
結果、何も変わらなくても、今よりもっと仕事に就くことが遠くなったとしても、多分人生での欲求は少なからず満たされる。嫌々苦しみながら、僅かなお金を手に入れるために働き続けるより、“今”はきっと、楽しい毎日が送れるはずだから。