任期満了まであと一年 ①

 二月も残りあと一日…という日、自宅に帰ると明るい緑色の封書が届いていた。勤務先の市からのものである。
 毎日仕事に行っているのだから、関係機関と連携している宅配ボックスやメール便などを使って職場の方へ配達する方がお金はかからないと思うのだが、時々こういうことがある。確か市は財政難。何故送料を使うのか解らない。
「市からこうやって届くやつって、ろくでもないことが多いねん。」
 母に向かって冗談交じりに言いながら、封を切る。入っていた書面を開いた途端、血の気が引いた。書かれていたのは次年度の任用に関することだったのだが、それはあまりに一方的で受け入れがたいものだった。
 
 忙しさにかまけて、〝書く〟ということから遠ざかっていた私は今、この原稿を始めから読み直してようやくここに辿り着いている。実際は読んだだけで疲れ果て、一眠りしたいところであるが、何せ時間が無い。そもそも書いて吐き出すことで、今自分が置かれている立場を俯瞰し、複雑怪奇にごった返して収拾がつかなくなっている自らの感情を整理したかった。なのにそれが出来ない。言い訳でなく時間が無いのは勿論、今年は短期間に色々と起こり過ぎている。そうでなくても、三月は年間で一、二を争うほど忙しい。
 
 連日職務に忙殺され、お金の付かない残業をして帰る。残業は誰のためでもない、翌日の自分のためなので、残業代が付かないのは承知の上。しかし仕事が多過ぎる。手は遅くないと思っているのだが、対・人であるものに関してはまた別。誰もが平気で期限を守らない。大人も子どもも…。その度に打診を必要とする。何度であろうと打診を続けなければ無視され、放置され、更にこちらの仕事が滞る。そして、締め切りまで日が無い雑務に慌てる。
 次の週は今年度最後の授業。全体の半分程度しか回収出来ていなくても、一先ず図書は一斉返却というものを終えているので、貸出は出来ない。代わりに年間行事の一部として行った取り組みを、パワーポイントにして紹介することにしていた。
 そして、知る人ぞ知るが、知らない人は知らない年度末表彰。機械の記録を頼りに、個々の読書量から表彰状を作る。また、市が推奨している読書ノートの頑張りに対しても、記念のしおりを作る。表彰状に関しては、他校の司書もやっているところがあると聞くが、しおりは私のオリジナル。お金はかかっていないが、手間と時間がかかった〝貰って嬉しいちょっと良いもの〟が付いたしおりである。
 しおりの進呈に拘っているのには理由がある。
 読書ノートは本50冊分の記録を書けば、ノートを1冊達成するように出来ているのだが、その達成者名簿を、毎月市の方へ送ることになっている。自ずと学校同士の比較が市へ報告される。保護者から了承を得ていれば、市のHP上にも達成者の名前が上げられる。その様子の通り、市が数的な成果を望んでおり、また、推奨していると私は捉えていた。
 勤務開始時、この読書ノートは〝書いても書かなくても個人次第〟といった緩い雰囲気のものであった。授業の時間確保が難しい高学年になると尚更で、書かないことがステイタスのように「一冊も書いてないわ」「書くのめんどくさい」「ノート自体何処行ったかわからん」などと言う。対応人数が他所の比ではない我が勤務校では確かに、児童の頑張り=司書及び担任の業務負担の増大という、嬉しくない事態を生む。唯でさえ、授業に空きがなくパンパンの状態で、連日マラソンを短距離走選手の如く走るような仕事の仕方。業務は減るに越したことはないが、子どもが手を抜いたり、やってもやらなくてもどっちでも良い…というのは、成績の付かない図書とはいえ、授業としてどうなのかと思っていた。
 そもそも、週一回の読み聞かせと、自分が借りた本2冊分を一年間書き続ければ、ノート2冊は無理なく達成できる計算。週に1冊しか借りなかったとしても、一年かければ一人1冊はノートを達成できるはず。私は〝読んだら書く〟と習慣付けることを徹底した。結果は予想通り。授業のない高学年までは目が行き届かないので、全児童各1冊達成には及ばないが、全体の半分は達成。更に、習慣化から独自の頑張りに昇華させた児童が激増。勤務開始年から記録は上昇を続け、現在に至る。
 結局〝しおり〟にそれ程意味はない。年度末のしおり欲しさに頑張ろうとする児童は、声に出している子だけを見ていると全体で一人か二人。もしかしたら心の中で目標にしている子が居るかもしれないが、大体最後に表彰されてびっくりした顔を見せる児童が殆どだ。突っ走っている時は年度末のことなど誰も気に掛けていないのである。
 では何故そんな面倒で手間のあるものを作るのかというと、司書の一方的な激励と餞でしかない。評価など必要ないかも知れないが、良い評価を受けて気分を害する人はいないと思うからだ。
 実際、自分は〝褒められて育つ〟という経験を子ども時代にした記憶が殆ど無い。褒められるようなことが出来る子どもではなかったと言えばそうなのかも知れない。また、そういう時代ではなかったのかも知れない。親は他人の前で我が子を貶しはするが、万が一他人に褒められたとしても、謙遜して受け容れないのが日常であった。
 もし、誰かが人前で褒められて、嫌な気になる人が居たとする。それは褒められない人が褒められた相手に対する嫉妬ぐらいではないか…。しかし、この年度末表彰を始めて数年。悪い評価を聞いたことは無い。本人は勿論、先生方にも喜んでもらえていると感じる。表彰の際には、他の児童から自然と拍手や羨望の言葉が上がるのだ。
 新聞沙汰にならないまでも、妬み嫉みが渦巻き、陰湿ないじめに近いような空気が横行する中で小学校生活を過ごした自ら振り返れば、他人の快挙を一緒になって喜べるこの学校の子ども達を心から尊敬する。
 年度の最終貸出を終えた日、ランキングから導き出して賞状を作る。しおり作りもノートの締め切り後になるのは、ぎりぎりまで書き続ける子がいるからだ。締め切り後に書くこともOKしている。その中にはしおり対象になる子も出て来るが、表彰時間に間に合わなければ後日手に渡るよう配慮する。何故そこまでするのか…と我ながら思うが、偏に〝継続は力なり〟であると感じているからだ。
 習慣化した物事を途切れさせると、再開までの空白は記録に反映されない。イコール〝形にならない努力は無駄〟だと、子どもは受け止める。決してそうではないのに、目に見えている部分だけが大切で、陰に隠れている部分はどうでも良いことになってしまうのだ。それを実感するような出来事が我が身に起きたのが、二月の末の出来事だった。

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