承認欲求について調べてみた

 近年テレビで、【承認欲求】という言葉を度々耳にする。
 あまりにも物事が上手くいかず、人並みに生きられていないと感じるばかりか、自分の存在価値に疑問を抱き始め、この世に私はいらないのではないか…と本気で考え始めている今日この頃。
 一方、連日のように事件や事故が起こり、見知らぬ誰かの未来に突然幕が引かれてゆく。無駄に生きている私にはまだ明日という未来が残されているというのに、誰かから必要とされ、ありとあらゆる夢や可能性を秘めているかも知れない人々の人生が、突然無くされているのだ。心が痛い。
 私は何のために生きているのか。そんなことばかりを考えるのは、【承認欲求】が強いせいなのか。
 それが何なのか詳しくも知らないくせに、ずっと足踏み状態では何の成長もないので、一先ず調べてみることにした。
 
 承認欲求とは…
◎「他者から認められたい」という感情の総称であり、自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求である。
◎努力へのモチベーションになるが、強すぎるとお金や地位ばかり追いかけて幸せになれない。
◎愛情不足で育つと、承認欲求が強くなる傾向がある。
◎承認されたい対象によって、概ね2つのタイプに大別。
【他者承認】他人から認められたいという欲求。
【自己承認】自分の存在が理想とする自己像と重なるか、あるいはもっと単純に今の自分に満足しているか、という基準で自分自身を判断すること。劣等感の強い人間や、情緒不安定な人間が困難になりがちになる一方で、反対に過大な自己評価をしがちである。
 また、思い込みが強い人間や被害妄想に囚われている人間の中には、幻想の他者を造り出してしまうために、自分が他者承認の問題であると思っていても、実際には自己承認の問題であるという錯誤がしばしば発生する。
◎〝どのように認められたいのか〟の違いによって、概ね3つのタイプに大別
【上位承認】自分が他人よりも優位な関係で認められたいという欲求。ナルシシストの傾向が強く、他者に対して猜疑心や被害妄想を抱えているケースが多い。他人が信用ならないからそれを支配する存在として振る舞いたい、あるいは自己を過大に評価した帰結として、自分が他人より優れているのは当然であると考えなければ、上位の存在として認められたいとは思わないという心理。
【対等承認】他人と自分の関係が平等であることを望む欲求。劣等感に起因する「人並みに認められたい」と感じる欲求。
【下位承認】自分が他人から蔑まれたいとする欲求で、被虐的な性癖のある人物や、社会的・道義的な責任を背負いたくないと考える人間、そして他人に依存したい、保護されたいと思っている人間が抱きがち。
 
 この辺りまで読んで、自分の現在の立ち位置を少し理解する。
 私は〝他者承認〟を特別望んでいたわけでなく、あくまで現状維持は貫かれて然るべきだと言えるだけの努力は惜しまずにきた。しかし現状から陥落させられる不測の事態が一方的に起こり、〝自己承認〟さえ叩きのめされる。いずれも自らの行いが引き金になったわけではないのに、受け入れなければ明日をも知れない状況に追い込まれるため、選択の余地がない。そこにさえ納得できなかった。
〝上位承認〟や〝下位承認〟の意識は皆無だが、〝対等承認〟の意識は強く、努力が尽く無視され、認められないジレンマは常にある。人並み以上の働きをし、結果を残してきた自負がそうさせるとも思えるが、不当な扱いを受けているという気持ちが決して消えない。
 
 アブラハム・マズローの階層説(人間の基本的欲求)…
①生理的欲求
②安全の欲求
③所属と愛の欲求
④承認の欲求
⑤自己実現の欲求
 
…によると、①から④の4階層は欠乏欲求とされ、そのうち①以外が満たされない場合、人は不安や緊張を感じるらしい。
 ⑤は成長欲求と定義されているが、自身の現状は、②~④までを脅かされ、⑤を持てずにいる状態。
 同じくマズローの〝尊重のレベル〟を見てみると…
【低レベルの尊重欲求】
 他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる。
【高いレベルの尊重欲求】
 自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される。
…とある。
 マズローは、前者のレベルに留まり続けることは危険だとしているが、後者が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じるのだそうだ。
 今の私ではないか…と思う。
 不調の原因が判らず、悶々と苦しんでいた時、病名が判明し、自身の症状と照らし合わせて腑に落ちた…正にそんな感じだ。
〝病気〟が判ったところで、ではどのような〝治療〟が必要なのかまでは調べられていないのだが、取り敢えず私は今、やはり〝普通〟の状態ではないのだな…と思うことで少し落ち着いた。
 次のことを考えるのはまた次の話だが、追記事項が気になったので書いておくことにする。
 
 愛情不足で育つと、承認欲求が強くなる傾向があるらしいのだが、逆に諦めて、全く承認を求めないサイコパスになることもあるのだそうだ。
 サイコパスを知らないので調べると…
◎良心が異常に欠如している
◎他者に冷淡で共感しない
◎慢性的に平然と嘘をつく
◎行動に対する責任が全く取れない
◎罪悪感が皆無
◎自尊心が過大で自己中心的
◎口が達者で表面は魅力的
…とある。
 これ…とっても身近にいる気がするのだが、〝反社会性がなければサイコパスとはならない〟という点に関し、身近な社会における反社会性であった場合、それはどう判断されるのだろうかと疑問に思った。素行問題など行動面の異常によって、大きな社会でなくとも、ごく小さい社会の中でサイコパスによる悪影響を受けながら、私は育って来なかっただろうか?
 鍋の湯がふつふつと気泡を立て始めるように胸の中が泡立つ。


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