小学校は軍隊か? ②
私はかつて保育所に於いて保育士の仕事をしていた時期があったが、一時期「子どもを怒ってはいけない」という御触れが出たことがあった。どんなに子どもが悪いことをしても、人として許されない暴挙を働いても、怒ってはいけないのである。
「怒るのではなく叱る」
「声を上げるのではなく、側に行って同じ目線で話をする」というような方法で子どもに訴えることを強要された。
わざわざ〝強要〟という言葉を使うのは、まさに読んで字の如くだったからだ。触れを出す方は保育にノータッチ。言うばかりで実践しないので、その大変さがわからない。たまにやってみると、子どもにとっては珍事であるので、逆に刺激となっていうことをきいたりする。しかし担任として毎日一日八時間前後、がっつり関わっている身では、それを実践するのに頗る根気がいる。複数で複数の子どもに関われるのなら協力体制を組んで連携することも可能であるが、子どもの年齢が上がるにつれ、子どもに対応する大人の人数は減るのだ。依って、目の前の問題に着手している時に、手の届かない場所で注意が必要な事件が起こっていれば、大きな声を上げずにはいられない。
「怒るのではなく叱る」
「声を上げるのではなく、側に行って同じ目線で話をする」というのは、実は理に適っていて、組織全体に浸透し、子どももそういった環境の中で育まれることに慣れていれば、とても効果的である。しかし、昨日まで怒鳴り散らすことが日常であった場所で、急に方向転換を図ったとしても、浸透するまでにはそれ相当の時間が掛かるのだ。
保育室から保育者の大声が聞こえると、管理職が飛んで来る…そういう時期を一時過ごしたが、それ以降、その保育現場がどうなっているのか私は知らない。しかし一旦植えつけられたその考え方を試してみる機会には、それ以降も恵まれた為、実践に繋げる努力はしてきたつもりである。依って、スタッフ間で共通意識を持った上で、環境さえ整えば、一見横暴とも取れるそんな方法も、実益に結び付くことを私は知っている。
では小学校ではどうなのだろう。
〝一人一人を大切に…〟という未就学前環境で育てられた子ども達が、小学校に入学した途端、軍隊式教育の只中に放り込まれている…。私はそのように感じてならないのだが、当の子ども達はどう思っているのだろう。
子どもというのは柔軟な生き物であるから、案外そんなことに傷付いて心を病んだりしないのかも知れないが、たったひとつ打ち消せない矛盾に気付く。
「そら、子どもも口、悪くなるわな…」
何処で覚えて来たのかわからないような口汚い言葉を吐くようになった時、子どもを責めても無理である。子どもの手本であるべき大人が指導者として君臨している教育現場がそうなのだもの。