悔いと思考とお天気と ②

 彼は言った。
 ポジティブな事を考えればポジティブに、ネガティブな事を考えればネガティブになる。そう信じる事によって自分が求めている物を引き寄せる。引き寄せの法則ってやつだ。言葉に出すのも同じで、ポジティブな発言を繰り返していれば、良いことは向こうからやって来る。ネガティブな発言を繰り返していれば、良いことは起こらない。〝言霊〟ってやつらしい。
 依って、元気じゃなくても「元気か?」と聞かれれば「元気だ!」と言った方が良いというのだが、元気じゃないのに元気だなんて言えねぇよ…とずっと思っていた。
 素直じゃない私は「そうだね」と相槌を打つ代わりに尋ねる。
「元気じゃなくても元気だって、嘘つく方が良いの?」
 堪能だが、完璧とは言い切れない英語交じりの日本語からの解釈がこうだ。
 辛いことや苦しいこと、困っていることがあって、誰かにそれを話したとしても、望んでいる態度や言葉が返って来るとは限らない。多くは見当違いで思いやりや配慮に欠け、結局は他人事なのだろう…と否応でも感じる。確かに他人事なのだ。しかしこちらは、それによって余計に悲しくなり、話したことを後悔する。それは同時に、相手への不信感まで併発させる。身勝手なのは実際こちら。他人から齎された重い話に纏わりつかれて気が滅入るより、明るく楽しく過ごしていたいと思うのは、誰しも同じだからだ。
 そもそも違う人生を生きている相手に、自分の不遇を理解し、気持ちを汲んでもらおうと考える方が間違いだ。痛みや苦しみを想像することは出来ても、本当の痛みや苦しみを同じように味わうことは難しい。思いに寄り添い、一緒に考えることは出来る。しかしそれさえ億劫に感じる人は少なくない。身内や、古い友人であっても、相手から発せられる負のオーラに対し、あからさまに溜息めいた様子で応酬したりする。そう考えると、特に親しいわけでもない相手に窮状を話して、「あ、そう…まぁ頑張って」と軽くあしらわれたところで、相手を責めるのはおかしい。相手が冷たいのではなく、世の中はそんなものなのだから…。
 無責任な態度を取られて傷つくくらいなら、話すべきではない。わからない相手に対し、明るく元気に接していれば、それはポジティブに生きているように見える。相手も悪い気はしない。ポジティブを引き寄せる言霊は、そういう時に使うべきで、気持ちよく生きるという意味で、お互いの為になるのだ。
 彼は言った。私には何でも話していると。
 同じ境遇に引きずり込まれ、大差はあれど、同じ立場で苦しんでいることを知っているから…というのが尤もな理由だからだが、そうでなければ分かち合えないことも実際にある。一人ではなく、同じように苦しんでいる人が他にもいて、話し合える環境にあるということを、幸せだと思うべきなのに、感じ方の大差にばかり視点が行ってしまう私は、ひねくれているとしか言いようがない。
 嘗て、自分にだけ不幸の女神が降り立ち、この世の総てが敵のように感じられたことがあった。苦労も努力も報われず、逆に仇で返されたような心境に陥り、自己肯定感も自尊感情もずたずたに…。天涯孤独で自分の価値などゼロ以下に思え、居場所を見つけられないだけでなく、生きている理由さえわからなくなった。
 当時の心境と、実は現状が似ていたりする。苦労も努力も報われず、まさに仇で返されるようなことが実際に起こった。働き方だけでなく、創意工夫までも否定され、職業価値を陥落させられることは、唯でさえ楽ではない生活を更なる困難へと追いやる事態を同時に引き起こした。
 我々は自立を要する一人の人間でない。大して価値もない仕事なのだから、道楽的な添え物として飾っておくくらいで丁度良い。その程度の他己評価しか得られない存在なのだ。そう宣言されたように感じている。
 未だにずっと悲しい。
 唯、大きく違うのは、今回は一人ではないのだということ。そこを間違えてはいけないのに、ずっと間違えている。一人職の性というものだろう。また、大差が生じているという点でも、同じであって同じでないのだと、自身を律していた部分がある。力を抜かなければならない。本当に、力を抜かなければならないのに…。
 引き寄せの法則や言霊について、持論を展開する彼にはリスペクトする哲学者がいるようだ。お勧めの書物やインターネットサイトを紹介される。調べてみたが、多くは翻訳されておらず、日本語理解がやっとの私には、なかなか入って来なかった。格言めいたものは確認できたが、割と手厳しい。そういったものに振り回されて、自分を責めてしまうような経験を思い出して、すべてをまともに受け取るのは危険だと感じた。
 同じ悩みを持って対話が出来る彼からは、多くのエネルギーを貰っている。存在自体が本当に有り難い。
 唯、一方で彼自身が、いつまで言っていても仕方がないような細々とした問題を、事あるごとに持ち出しては延々と愚痴ったり、怒ったりしている。
おいおい、ポジティブスィインキングは何処へ行った?言霊はどうした?
 誰しも竹を割ったようにスパンと気持ちや考え方を切り替えられるわけでもないらしい。

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