3月18日
いくつかピックアップしたハローワークの求人が、一ヶ月近く経ってもまだ残っていることが気になっている。いずれも、気にはなっても一歩を踏み出せない、引っかかる点がそれぞれにあって、どれかが自分のものになったとして、定年まで続けられるかどうか自信が持てない。
お金を手にすれば人生の時間を、お金を放棄すれば、定年まで…という希望や通勤の不便さに悩まされる。やりたい仕事、精神状態の安定、生活の自立。三つ揃っていることを条件とするのは贅沢なのだろうか。しかしひとつでも欠ければ不満が残る。働くって、こんなに大変でなければならないものなのだろうか?
あんなに大変だったのに、今は幸せな記憶しか残していない、学校司書の求人を見つけた。しかし前回と同じ、5年満期である。お金に期待は出来ないから、貯蓄は難しい。5年後、三度転職を考えなければならない可能性は絶大で、今でもこれほど大変なのだから、今度こそ流石に働く場所などない気がしている。
同じことの繰り返しだ。
行きたい場所は決まっているのに、常に待ち受けているのは予想できる波乱で、それを承知で飛び込んでいけるほど若輩でも経験不足でもないのだと、歩いてきた道を振り返らざるを得ない私がいる。
一年ぶりに恩師と連絡を取り合う機会があり、知っている子の姓が変わったことを知った。かなりの個性派で、私とは気が合わない子だった。しんどい思いをしたことも知っている。幸せになったのは喜ぶべきことだ。
唯、この時期にしか連絡を取らなくなった恩師とやり取りするとき、私はいつも同じ場所で燻っていると感じる。一体いつになったらこの負のループから脱出できるのだろう。
春という季節が苦しくならない人生に、一刻も早く辿り着きたいと、物心ついてからずっと思っている気がしてならない。