脳みそが喜ぶことをしよう
と書いて、ちゃんと出来ないまま、他のことばかりしていた。
気になることが多すぎて、しかし無駄に悩んでばかりのしんどい時間は決して減らなくて、自分がこれからどうなっていくのか、不安でしかない。
脳みそが喜ぶことをいっぱいやって、“今”という時間を大切に出来ていない自分に気付き、毎回自己嫌悪に陥る。物事を順調に前進させるスキルが、私にはない。常に真っ暗い水の中を泳いでいるようで、時々溺れそうになって、息が出来なくなる。それを繰り返す人生は、いつ終わるのだろう。
◎文章を書く
◎描いた夢を見返す
◎気分が上がった過去の仕事を思い出す
◎好きな曲を弾き歌いする
◎小学生を見て司書時代の幸せな記憶が蘇る…万が一、稼いでくれる夫が出来たら、司書に戻りたい
◎ゲームに没頭する
◎犬と必死に石蹴りする
◎『アンという名の少女』を観る
◎言われて嬉しかったことを信じる
◎これからどんな仕事に出会うのか考えてうきうきする
◎捕らぬ狸の皮算用をする
自分がメモした箇条書きの中身を、時々わざとしないで、またまた自己嫌悪に陥る。しんどすぎて出来ないこともあり、余計にしんどくなるので悪循環でしかない。
『アンという名の少女』は、もう見終わってしまった。
ゲームは、しながら寝てしまうので、私にとっては睡眠薬である。
弾き歌いは、一番身近で効力があるものの、それこそしんどすぎて鍵盤の蓋を開けることすら出来ないときがある。無理に弾いても、声が全く出ないことも…。逆に、無理に弾いたら意外に声が響いてすっきりする日もあるので、わからない。
石蹴りは毎日する。ほんの5分程度、スピーディーに動く犬と石を追っている瞬間だけは無心だ。体力があれば…という条件付きではあるが…。
未来への展望は、今、殆ど持てずにいる。それでも捕らぬ狸の皮算用は、時々したくなる。それを習慣にするべきだと、心の何処かで思っているのに、後回しになっているのは、現状が良くなる気配からどんどん遠ざかっているせいで、気分が落ち込んでいるそのこと自体を、自分で罰しているからに他ならない。
本当は、考えない時間を作ることが一番大切な気がするのに、それが一番できないことなのだ。
少しでも心が落ち着いて、ちゃんと脳みそが喜ぶことが出来るようになったら、同じタイトルでもう一度、ちゃんと書こうと思う。