電車、駅、あれこれ

 以前、通勤電車の中で手帳を記していたら、扉の側に立っていた女性に暴言を吐かれた。
「そんなこと自分の家でやれよ!非常識な!」
 ってな具合のことを、乗っている間ずーっとぶつぶつと言い続けている。ところどころ、明文化できないような美しくない言葉を取り入れつつ、がら空きの車内のがら空きの座席に座ってメモを取っている私をちらちらと見ながら…。
 私はそんなに非常識なことをしていたと思わず、文句を言われても反省せず、動じるのも慌てるのも違う気がして、ペンを握ったまま彼女をじーっと見つめていた。
 彼女は文句を言うのを止めず、かといってじーっと見つめる私に立ち向かって来るでもなく、私が降りる駅で私より先に降りた途端、足早に階段を駆け上がって去って行った。
 明確に文句を言われたのはこの日だけであったが、その後この女性を何度か車内で見かけることがあった。私に対するように、他の誰かに文句や暴言を吐く姿を見たことはなかったので、私の行いが余程彼女の常識に反していたのだろう。唯、ずっと何やらぶつぶつと呟き、降車駅に着いた途端、猛ダッシュで階段を駆け上がっていくのは変わらなかった。

 当時の職から転じて利用する駅も変わり、現在通勤のために使っている駅で、週に何度か見かける人々がいる。女性の二人連れなのだが、やたらと話し声が大きい。反対側のホームで話しているのを思わず振り返って二度見してしまうくらい、肺活量と腹筋が鍛えられている彼女に、“コロナ禍による公共の場でのお喋り自粛”…という概念は恐らくない。賑やかな大阪のおばちゃん気質を押さえきれない…というものでもないようで、多分前述した車内の女性と、似たような方向性の方かと思われる。
 唯、こちらに関しては、思わず誰もがびっくりして振り返るようなタイプではあっても、特定の誰かを攻撃したり傷付けたりする可能性は恐らくない。

 ひと月ほど前から、同じ車両の別の扉から乗降するようにしている。扉の場所が違うだけで、降車後、改札を出るまでの混み具合が大分楽だということに気付いたのだ。時短主義なので、降りてすぐエスカレーターに乗れる場所が定位置なのだが、乗り込んでくる人並みと押し合いへし合いになる以前の扉は、エスカレーターに乗るまでに反って時間がかかるのだった。
 ある時、乗り込みの関係で隣の扉を使ったら、降車時に乗る人と降りる人の列がそれぞれキレイに分かれていた。ホームを往行する関係で、場所的に自然とそうなったのだろうが、お陰で未だ他の扉から降りきっていない乗客が乗る前の、空いたエスカレーターに乗ることが出来るのだと知った。以来、同じ扉を利用している。
 乗るようになった扉の出入り口には、いつも同じ男性が立っている。とても腰が低く、度々対峙する人にへこへこと頭を下げて挨拶しているので、知り合いが多いのだと思っていた。彼は私が乗った次の駅で降りてしまうのだが、降りる際に乗って来る誰かに、とても友好的に挨拶している。同じ職場の人…という可能性は低い気がするが、夜勤明けの人と入れ替わりで勤務する人…という関係性ならなくもない。詳細は不明だが、乗って来る人と、降りていく彼は、親しい間柄のように思える。
 今朝、いつものように電車に乗ろうとしたら、腰の低い彼が扉の側に立っているのが見えた。電車が止まる前から、誰かにへこへこと挨拶をしている。乗ろうとしている人間に身振り手振りで何やら合図しており、ここにも知り合いが?と思ったが、どうやら違うのではないかと気付いた。
 乗車する人がわらわらと集団で乗り込んでも、彼は扉出入り口のその場所から動くことはない。次の駅で降りるので、押されて中に入ってしまうと厄介だからだろう。多分彼のゼスチャーは、“自分を避けて中へお入りください”といった具合か…。
 彼の後ろに立ってみて、その耳の上に補聴器が乗っていることに気付いた。耳のハンデをカバーするための、彼なりの工夫なのかも知れない。
 端から見ていれば、彼のコミュニケーション手段は、関わる人すべてを知り合いであるように見せる。にこにこと表情豊かで、嫌な気分にさせないせいかも知れない。毎朝見かけるうちに、本当の知り合いになってしまった人もいるのではないか。
 何処の駅からどのくらい乗っているのかは知らないが、今朝も彼は軽快な足取りで、私が乗った次の駅で意気揚々と降りて行った。

 職場の最寄り駅で降り、エスカレーターを上がって改札を出た。
 階段を降りるためにカーブを曲がったら、すれ違いざまに女性が言ったのにびっくりした。
「このバカ女が!」
 顔…ちゃんと見ておけば良かったと思った。
 すれ違う人、一人一人、わざわざ顔や姿を確認することはないが、見ず知らずの人に突然暴言を吐かれる云われはない。突然バカ呼ばわりされる理由もないはずだ。
 私に言ったのでないとして、私とすれ違う直前、彼女に何か癇に障ることがあった可能性もあるが、そうであったとしても、多数の人間が横行する公共の場でので暴言を吐くこと自体、まともな大人のすることとは思えない。
 こういうことってよくあるのだろうか…と調べてみたら、このような迷惑行為は軽犯罪法に問われる可能性があるとあった。一日以上三十日未満の刑事施設への拘留、千円以上一万円未満の科料を科される刑罰に該当するかも…。知っておいた方が良い人、この世にどのくらいいるのだろう。病んでいるのはこの国か、何処の国でも多かれ少なかれいるのだろうか。
 その昔、韓国の地下鉄のホームで、酔っ払いに絡まれたのをふと思い出した。


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