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祖父が最期に辿った真理 【初編】
祖父が大好きでした。いつも笑顔で、
大きな優しさをくれました。
彼がいなければ、私の人生は
今よりも色褪せていたでしょう。
がんになった祖父
祖父は前立腺がんだった。猫のように体の不調を隠すものだから、気づく頃には末期がんだった。リンパ管を通り、がん細胞が体中を巡っていた。全身がんというものだ。
診断を受けて、彼の人生は加速していった。
なにがなんでも生き延びようと、できることは何でもした。
波動を学び、謎の健康食品を口にした。
元々運動はする方だったが、一日2万歩前後は歩くようになった。
そして、家族との時間をそれ以上に大事にした。
近所だったので、ほぼ毎日朝に顔を出すか、
夜スイーツを持って遊びに来てくれた。
そんな生活が、何年か続いた。
今でも…ふらっと遊びに来そうな気がする。
穏やかな時間
私は孫の中でも年長だった。就職が決まり時間ができ、祖父はよくお出かけに誘ってくれた。
何度も二人でご飯を食べに行った。
とても大切な思い出だ。
また、自営業だった為、その幕締めも手伝った。
そぶりは見せなかったが、道半ばの幕引きは、
さぞ悔しかったと思う。
しばらく経ち、遂に祖父は自力で歩けなくなった。腎臓の機能が落ち、身体に水が溜まり足がむくんだ。
私たちが、会いに行く番になった。
家族の未来を案じていた
私たち孫家族はある問題を抱えていた。
それが気がかりだったようで、よく家族の様子を尋ねてくれた。
安心して旅立って欲しかったので、
気持ちにできる限り応えた。
問題点、目指す未来、私の役割などについて、深い所まで話した。
代えがたい機会だった。
普段、ここまでの深度で話す場面は幾らも無かったし、
太鼓判をもらえたから。
想いを託そうとしていた
ほぼ寝たきりになり、自らの死を悟ったのか、
話す内容が今までと変わった。
好きな音楽を語り、趣味の英語クロスワードや数独を紹介したりして、以前より強く自己開示をするようになった。
祖父は教育者だった。けれど勉学は強いなかったし、ひたすらゲームをしていた学生時代の私を、咎めることもなかった。
仏のように優しい人だったので、
自由意思の尊重を第一に考えていたのだと思う。
何より、私を信じてくれていた。
そんな祖父が、最期に願ったこと。それが
とある聖典を読むことや、英語・株式投資の勉強だった。
この話は、次回以降の編で執筆します。
よろしければ。
真理とは
繋がりと継承
祖父は、死を意識するようになってから、
今まで以上に家族と過ごす時間を大切に、
噛み締めるように過ごしていました。
そして、自分の考えや価値観、未来のために必要なことを
家族に残し、伝えようとしました。
家族みんなの絆、つながりを大切にし、
次の世代へ想いを継承しようとしたのです。
これは人類の辿り着きうる真理。
その一端だと。
祖父の姿を見て確信しました。
想いを受けとめ、継承する
この真理は、想いの受け手側に
受けとめる意思と度量があって
はじめて成立します。
祖父が亡くなってから、受けとめられるようになるまで、少し時間がかかってしまいました。
簡単なことでは…なかったです。
きっと祖父は、
私を次世代の旗手として選んでくれた。
選ばれたからには、
誇りを持って、進まなければ。
いつか、「ありがとう」と
言ってもらえるような、人間になりたいから。