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言葉の魔術師に学びたい

去年はなぜだか免除された離れて暮らす母と姉の年賀状作成代行業務を2年ぶりに承った。ほんのりめんどくさい気持ちもあるけれど、帰省時に毎回主にごちそう方面でたいへんなおもてなしを受けたり、帰省時に毎回紛失するわたしの腕時計探しにご協力頂いたり、不定期に野菜や果物や酒などを送ってくれたりと、平素よりお世話になりすぎているので「もちろんいいよ!」と、めんどくさい気持ちなど少しもにじませたりせずに快諾できた、と思う。うさぎ年の年賀状が20枚ほど残っていたので、年賀状を買う際に交換してもらおうと思って郵便局に持ち込んだところ、「古い年賀状を新しい年賀状に交換はできないんですよ。」とおっしゃる。「?」。「じゃあ古い年賀状はどうしたらいいんでしょうか?」と尋ねたら「切手や通常のはがき、もしくはレターパックなどとでしたら交換が可能です。」とのこと。「?」。通常のはがきはよくて年賀状はダメということ?仕事帰りで疲れていて思考回路がショート寸前だったし、窓口の方を困らせるのは本意ではないので、「それでは、今日は古い年賀状の交換はなしで、新しい年賀状をください。」と言って無事に年賀状を購入できた。「?」。うさぎ年の年賀状はもちろんまだ手元に残っている。「?」。「???」。切手もレターパックもプライベートでそうそう使わないしな。困った困った。お焚き上げするしかないのかな。

年賀状の素材集みたいな冊子は、もう本屋さんの店頭には置かれていないもよう。年賀状仕舞がぐんぐん進んでもう需要がないのだろうな。街で一番大きな書店の端末で検索してみたら「お取り寄せ」となっていたので、諦めてAmazonで取り寄せた。来年はへび年か。母がこの世で一番嫌いなものはへびなので(かわいいね)、たとえかわいらしくデフォルメされていたとしてもへびのいないデザインの年賀状案をいくつか作ってみようと思う。

ちなみにわたしがこの世で一番嫌いなものは、意地の悪い御局、情報共有が劇的に下手くそな上司、混み合った電車の中で足を組んで座る馬鹿たれ、地面と平行もしくは平行に近い角度で傘を持つ阿呆、歩きたばこをした挙句に吸殻をポイ捨てするクズ、などである。みんな違ってみんな嫌い。全員同率第1位である。

2週間前に初めてチャレンジした「梅流し」に感動して、3週連続で土曜日の朝に梅流しを敢行した。こういうのはたいがい耐性がついてしまって次第に効果が薄れてしまうものだけれど、梅流しの抜群の効果は3度目の今日も変わらず健在であった。これが合法なのが不思議なくらいだ。

来週はいよいよ年に一度の公式体重測定こと健康診断があるので、梅流しの効果で少しでも良い結果を残せることを期待して、残りの数日もラストスパートに全力を注ぎたい。

最近、大事な試験に向かう人にかける言葉のチョイスに迷う事案が立て続けに発生した。

「健闘をお祈りしております。」は一見とても良さそうに思えたのだけれど、もしかしたら「難しいとは思うけど、やれるだけのことはやってこい」みたいなニュアンスが含まれていると受け取られてしまったのではないかと、後になって考えた。そんなことはちっともなくて、わたしはほんとうに「あなたならきっとできる!」と健闘をお祈りしているのだけれど、その気持ちが相手にそのまま伝わるかどうかが怪しいフレーズだなと反省した。

「良い結果がでますように。」は、ちょっと神頼みっぽい印象を与えてしまったかもしれない。一見寄り添うそぶりを見せておいて、結局結果は天任せみたいな印象に受け取られてしまったのではないかと、後になって考えた。そんなことはちっともなくて、わたしはほんとうにただただ良い結果を願っているのだけれど、その気持ちが相手にそのまま伝わるかどうかが怪しいフレーズその2だなと反省した。

「雨が降らないといいですね。」は、完全に言葉選びを間違えた。ずっと雨が続いていたので、試験の日はせめて雨が降らなければ、移動のストレスからも解放されて、試験に集中して実力が発揮できるのではないかと思ったのだ。しかし、天気のことはどうなるかわからないので、もしも試験当日に朝から雨が降ってしまったとしたら、「あ、雨が降っている。なんかやだな。」と逆に雨を意識させてしまうことになるかもしれない。取り返しのつかない大罪を犯してしまった。これはもう二度と口に出してはいけないリストに入れておかねばならない。

大事な試験に向かう人にかける言葉、探しています。

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