noteの好きなところ2
わたしには下書きがない。あるのは、書こうと思って投稿ページを開いたものの筆が進まず今日はやめとこ、となった時の白紙のページばかり。気がついたら削除しているのだけれども、気づけばいつもひとつかふたつはある。いつも手厚い下書き保存機能をありがとうございます。
noteを好きなところとして、ぜひ書いておかねばならないことを書き忘れていたので、また筆を執る次第です。おはようございます。「どんだけー」と心の中のIKKOさんが指をふりふりはしゃぐほどに、わたしはnoteが大好きなのだ。
思っていることをどなたかがぴたりと言い当てておられるところ
たとえばこちら。わたしが好きで好きでたまらない過去のドラマについて。
冒頭からのレビューはもちろん、後半にまとめられている名言集まで秀逸。もしもわたしがこのドラマのレビューを書くとしても、ひとつかふたつしか拾えないであろう名言の数々を丁寧に文字に起こされている。ここまでセリフを忠実に文字に起こせるなんて台本を持っている関係者としか思えないのだけれど、そんなことはなくてほんとうにドラマを好きな方が何度も録画を見直しながら文字に起こされたのだよなーなどと勝手にその方の執筆の状況まで妄想する変態的note愛好家がここにおります。読んでいるだけでドラマのシーンを思い出して感情昂る4月の朝。これわたしが書いたのかなと錯覚するほどに「そうそうそうなんだよ」の共感の嵐が止まらない。
次はこちら。
そうそう、そうなんだよー。「私はね!」と自分のことばかり言う人にわたしもうんざりしているのだ(自分のことばかり言うくせに突然無視するお局の話をしています)。わたしはこの苦境を極力距離を置くことで解決した。件のお局も、わたしが自分のことを苦手としているという自覚はあるみたいで、ターゲットを変えて別の誰かに「私はね!」を続けているが(とにかく声が大きいので職場の会話はまる聞こえ)、これはターゲットを逃れて傍で見ていてもうんざりするもんだなと、新たなターゲットに申し訳なく思うものの、わたしの手には負えないのであとは任せた。たとえば、その大きな声で「私はね!」のお局(と言っても社歴はわたしと半年しか変わらないのになぜだか存在がめちゃくちゃめんどくさいお局なのだ。職場の皆様ほんとうにすみません、うちの課のお局が騒がしくて。)がこういった記事を目にしたらどんな風に受け止めるんだろう。あ、わたし気をつけなくちゃ、とはなるはずもないので、くそばばあは永遠にくそばばあのままで。おめでとうございます。
あとはこちらも共感の嵐が止まらないもの。
誰に見せるでもない自分だけのグリーンへのあふれる愛。この方のがじゅまる、ぷりぷりしているな。葉もわさわさしていてたくましい。うちのがじゅまるは春になっても元気がない。そして変わりがじゅまるも素敵。欲しい。こちらからはソフォラリトルベイビーをおススメしたい。新芽が続々誕生しており、冬の間の静けさはなんだったのかと思うほどに、日々枝を伸ばし続けている。伸びた枝を切って挿し木したり、ひとまわり大きな鉢に植え替えたりするのも楽しいんだよな。がじゅまるをぷりぷりにさせるにはやはり外に出すしかないのだろうか。かわいい子には旅を、か。
そして最後はこちら。
まさにこれ。わたしがnoteにおいて大切にしていること。書きたいときに書きたいことを書く。息をするように。ただそれだけ。下書きがなくても大丈夫。事件は毎日たくさん起こっているから。