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私にグリーフケアは必要なくなったのかもしれない

お盆あたりになると、毎年少し辛くなる。
他界した家族の姿や、家族を優先して生活を変えようと決意した夏を思い出す。

今年の夏季休暇に、自死遺族のための「分かち合いの会」に参加しようと思っていた。
その分かち合いの会には以前参加したことがあるけど、コロナや仕事のスケジュールの関係でしばらく参加できなかった。
ふと思い出してホームページを見て、数年ぶりに参加することにした。
誰かに話を聞いてほしいと、強く思っているわけではない。
でも、自分の気持ちを整理するためには、口に出した方がいいのかもしれないと思った。
同じような経験をした人が、どのような気持ちで日常生活を送っているのか、話を聞いてみたいという気持ちもあった。


分かち合いの会の日、急に親戚のうちに行くことになった。
ちょうど夏季休暇中の私が車を出せる。
分かち合いの会には、行かないことにした。

まず実家に寄った。
猛暑の中、親が公共交通機関を使って運ぶ予定だった大荷物をのせて、伯母のうちへ向かった。
車を購入しようと思った時に、これからの人生で優先したいことがなんとなく見えてきた。
高齢の親や親戚が必要とする時に、私が車を出せるといいなと思っていた。今、こういう事ができて本当に良かったと思っている。


久しぶりに行った伯母の家は、物が多く、掃除がされていなかった。
子どもの頃に、いとこと一緒にオセロや人生ゲームをした居間は、ゆっくり座っていられる空間ではなかった。
4年ぶりに会った伯母は、認知機能が低下していた。
本当かな?と思うような話を何度もしていた。
伯母は、私が誰なのかは認識しているようだった。
でも、私が帰宅したら、私が来た事は多分すぐ忘れてしまう、と親に言われた。
しばらくしたら、私が誰なのかもわからなくなるかもしれない。


中学生の頃、家族のもめごとがあった。
両親が祖父母のうちに行ってしまい、夜遅くに、きょうだいと私だけ家に残された。
親が電話で話しているのを盗み聞きしたら、怖くなって眠れずにいた。
真夜中にチャイムが鳴り、突然、伯母がうちに来た。
夜中に運転して来てくれた。
私の家族が自ら人生を終える決断をした後も、伯母は来てくれた。

伯母のうちに行った帰り、運転しながら昔の事を思い出して、涙が出そうになった。
今度は私が、伯母さんが必要な時に、伯母さんのところに行くよ。


今月参加しようと思っていた分かち合いの会には、仕事の都合で、またしばらく行く時間はとれない。
分かち合いの会に行くのをやめて親や親戚と過ごした日、私はもう、分かち合いの会に参加する必要はないかもしれない、と思った。
自死遺族として様々な思いに頭や心が占領されることは減り、死別を経験してからの新しい暮らしの中で、先のことを考えながら生きている。
死別に関する記憶や気持ちが薄らいだから、というのではない。
乗り越えるとか、立ち直る、というのとも違う。
死別を経験してからの新しい生活を、落ち着いて過ごせるようになってきた。

グリーフケアの勉強を始めて3年目になる。遺族をケアする支援者側の勉強をした。
悲嘆と様々な感情を抱え、心身の不調に悩み、社会から身を潜めるように暮らしていた自分は、もういない。
いま優先したいことや勉強したいことに自分の時間を使っていたら、死別とともに生きていく暮らしの中で、自然と、私はグリーフケアを必要としなくなってきたように思う。


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