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教育ママの気持ちが少しだけ理解できた

お受験や中学受験、幼い頃から教育をしっかり受けて我が人生のレールを整えようと頑張る話を聞くようになって久しい。

ただテストの点数に一喜一憂して親が叱咤ばかりするような教育は望ましくないと感じる。


そもそも私は、子どもには自由に楽しく毎日を過ごしてもらいたいと思う。

勉強する時と遊ぶ時のメリハリをつけて、決まった時間きちんと集中して学習してほしい。


だがそんな理想論は、思っていた何倍も実現が難しいと知った。

メリハリを自分でつけられるわけではない。
そういう環境を周りの大人が整える必要がある。

子どもが勝手に物事に興味を持ってくれるわけではないので
それも周りにいる大人が仕掛けて興味を引き出す。

いろんな場所に連れて行き、いろんな経験をさせ、ゲームやYoutubeを楽しむ時間も持って、本人が決めた学習を遂行できるか見守る
都度都度、子どもの反応に注意を払い、適した声の掛け方を探していく

どうすればより良い形になるかトライアンドエラーを繰り返し、やっとよさそうな関わり方が見つけられても子の成長とともにすぐ効かなくなる


そんなことを考えていると、いつの間にか子どものテストの点数が気になるようになってくる

日頃子と共に過ごしている自分自身がテストされているような気持ちになるからである。

再テストの対象になれば落ち込む

公立小学校低学年のテストなので、問題が解けないわけではない。
そこに問題があることに気づけなかった、数え間違え、名前を書かなかった

点数が低い理由の全てはケアレスミスである。


なぜうっかりミスをするのか、どこに改善点があるのか知りたくなり、
「なんで間違えたの?いつもはできるよね?見直しはちゃんとしたの?」といった質問を投げかける

思い通りにいかないことにフラストレーションを感じ、顔に嫌悪感が滲み出る

子は何も答えず手元の作業を進める


湧き出してくるモヤモヤとした感情の中で、ふと感じた



「あぁ、私今、なりたくなかった叱咤ばかりする教育ママになってる」


これは違う、間違えていると思いながら、じゃあどうすれば良いのかはわからなかった。


子の力を信じているし、できることも知っている。

ただ期待することは時に余計なプレッシャーを与えかねない。



自分の気持ちをコントロールするのは思った以上に難しい。
意志の力でどうにかするのではなく、私自身こそが環境を整えて、子どもと程よい距離感を保てるようにした方が良いのかもしれない。



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