ワクチン賛成派・反対派同士の議論を見てみたい

                        (2021-09-19 投稿記事)

ホリエモンと古舘伊知郎のワクチン対談

 Youtubeの動画を見たのが今回の記事を書くきっかけとなった。内容をまとめると以下の通りだ。

・重大な副反応が現れる可能性は低いし、医療や科学の発展に寄与している実感も得られる(堀江)
・副反応が出る確率は勿論、mRNA等まだまだ発展途上の知識や技術に身を委ねるのは如何なものか(古館)
・結局は感情論だろう。僕が皆でワクチンを接種すべきと考えるのは、僕自身が早く外で活動したいという思いがあるから。対して古館さんがリスクを懸念するのは、よく分からないものを体に入れるのが怖いという思いがあるから。(堀江)

「賛成派 VS 反対派」という構図の問題点

 この問題が上記の対談にあったと思うし、延いてはあらゆる議論の場に適用されるのではなかろうか。
 すなわち、お互いがポジショントークに終始するという問題である。上記の対談はこの二人にしては穏やかに進んだものの、取り立てて新たな見地や歩み寄りは生まれなかった。
 とはいえ、ポジショントークを否定することは、議論という行為そのものを否定することと同義でもある。ではどのような形式で議論を進めるべきだろうか?

賛成派・反対派同士で深く緻密な議論へ

 前項でポジショントークを否定したが、正確には全てのポジショントークを否定するつもりはない。
 「おおよそのポジションとビジョンを共有した上での議論をすべきではないか」こう言い直させていただこう。
 例えば、同じ賛成派であっても「とにかく早く国民全員が接種すべき」「医療従事者や高齢者の接種を優先すべき」という風に一枚岩ではない。とはいえ、先1年ぐらいを念頭にそれまでの日常を取り戻すというおおよそのゴール (=ビジョン)は共通しているはずだ。
 とすれば、賛成派と反対派とで言い争う以前に賛成派同士の意見をまとめ上げることが先ではないか。
 そのプロセスとして議論があるべきではないのかと考える。そこでは、少なくとも(狭義の)ポジショントークは発生しないし、それ故により深く緻密な議論を展開することが可能になると思うのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?