指先の愛すべき異物
小学生の頃、同じ塾に通っていた男の子に言われてしまった一言。
「指みじかっ」
ずっと、私の頭の片隅にこびりついていた。
「手が小さいと細かいところも器用だから、歯医者には向いてるんだよ」
そう言う父親の遺伝子を受け継いでしまっていたのは明らかだったけれど、
歯医者になる気が微塵もなかった私に、その言葉は何の励みにもならなかった。
10代、友達と撮りにいくプリクラも、1人だけピースの指の長さが少し足りなくて、いじけていた。
なるべく手を目立たせないように、と思って
いくらピアスをつけるようになっても、
指輪はつけない、ネイルなんてもってのほか。
そうやって27年、生きてきた。
今年の夏、憧れの先輩がときどきInstagramにあげるネイルの写真をスクロールしながら、
思い切ってネイルをしてみることにした。
直前までもやもやした気持ちを抱えながら、それでも踏み切ってみたのは、平成最後の異例の暑さにやられていたのかもしれない。
爪の長さを出すのはどうしてもできなかったけれど、
この指の先を彩る行為自体が、これまでの私のポリシーを大きく曲げる、新しい挑戦だった。
"アラサー"なんて言葉が頭をよぎる27歳の誕生日を目前にした、8月の昼下がり。
私の爪は初めて装いを覚えた。
あれから4カ月、今ものらりくらりとネイル生活を続けている。
指先のコーティングのつやつやにコンタクトレンズやサランラップが貼りつくと、本来のものとは違う感触が、ありありと感じ取れる。
少しずつ爪が伸びてくると、パソコンのキーボードにカチカチと当たる音も、次第に心地よく耳を刺激するようになった。
決して自分の身体の一部にはならないけれど、嫌ではない、違和感。
少し気になる同じクラスのあの子を、ときどきチラチラと横目で見るような感覚にも似ていた。
こうして私の指先の10本のネイルは、愛すべき異物となった。
私の指は相変わらず長くはならないし
お世辞にも一向にネイルの似合う手にはならないけれど、
少なくともささくれだらけだった手にオイルを塗りこむようになったのは、ささやかな進歩だ。
小学生の私に強く刷り込まれたあの一言を、
15年経った今、ようやく追い越せる気がしてきた。
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