大口玲子「トリサンナイタ」/短歌って奥深い②
前回のつづき。
今回はさらに、母性とは、という部分をピックアップしたいと思います。
人生の重なる部分のりしろのやうにも本体のやうにも思ふ
自分と子供は、本体のようにぴったり重なっているようにも思えるけれど、のりしろのように一部分しか重なっていないのかもしれない。
別の人間、別の生き方、でも生まれてから少しの間、一瞬だけ重なる貴重な時間を過ごしているのかもしれない。
そう考えると、この瞬間はとても愛おしく大切に思えます。
はるかなる冬のすばるに見透かされときに亀裂の走る母性よ
母親たるもの、全身全霊で子を愛し、守り、子に何かあれば迷わず火の中に飛び込むようであるべき。
だけど、正直、もうやり切れないと思ったり、子供のいない人生だったらと考えることがある。
誰にも言ったことがないし、自分でも頭の隅に追いやろうと必死だけれど、遥か遠くの星は見ているのではないか。
とても共感する部分があります。
まだ母になりきれぬわれと思ひつつ思ひつつ一世過ぎゆくならむ
昔、親は絶対で、正しいものと信じていた。
でもいざ大人になってみると気づく。
親も一人の未熟な人間であったこと、そして親になった自分自身も不完全で、誇れるような人間ではないことに。
この句のように、きっと一生、不完全さを抱えながら過ごしてゆくのだろうと思います。
親になることを自ら選択し、子供は可愛いし、愛して止まない。
でも、揺らぐ。母を辞めて、いっそ女に戻りたいと思うこともあります。
こんなこと言うと、非難されるかもしれませんが…。
戻れないからこそ、そう思うのかもしれません。
この歌集を読んで、現代短歌の面白さ、奥深さを感じました。
もう少し、他の方の歌も読んでみようかと思います。
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