キャンプに行こう《愛着障害と付き合う》
車やバイクを運転できる人を心底羨ましいと思います。自分の行きたいところに、通りたい道を通って向かうことができる。なんて素晴らしいことでしょう。高校卒業後、すぐに上京したので免許を持っておらず、いつも助手席でハンドルを握る人をぼーっと見つめています。
今回は愛着障害と付き合うをテーマにしたいと思います。
愛着障害とは簡潔にまとめると、養育者との愛着が何らかの理由で形成されず、子供の情緒や対人関係に問題が生じる状態のことを指します。
子ども時代における心理的負担は適切な処置を行わなければ、大人になってからも影響を及ぼします。
子ども時代に処置を行えす、大人になってその影響が浮き彫りになってしまった人に注目をし、その付き合い方を提案したいと思います。
愛着障害を抱えていると、日常の些細なことにも不穏な空気を感じるものです。これを読んでいる人は特徴や困難さをご存知だと思いますが簡単にまとめられたものを引用します。
生きてるだけで疲れますよね。何も考えずにずっと眠っていたいと感じてしまいそうです。
愛着障害は、障害ですので軽減することがあっても完治することはないため、生涯付き合っていかなければいけないものです。
このように感じてばかりいては、鬱病や対人恐怖症に繋がり、生きづらさが増すので上手く付き合う方法を私なりに考えてみました。
アランは、パリの名門校などフランス各地の高校で、哲学の1教師として生涯を貫いた人物の言葉です。
彼の考え方は気分に任せていては、不幸な事しか感じられず、幸せになるためには自ら行動する事が必要であるというものです。
「行動できてたら、こんなに悩んでないし、苦しんでないよ」と寝転がりながら思っている人もいるかもしれません。
正直、愛着障害は思考の蓄積ですぐに軽減するものではありません。ベッドから動くことすら憂鬱になる日だってあるのです。
思考はすぐには変えられませんが、今ここから一歩動いて温かい飲み物を作ることはできるはずです。
自分を大切にする、幸せにするための行動を一つだけでもとるべきだと、私は彼の考えを解釈しています。
愛着障害は後天的な障害で、なった人に落ち度は一つもありません。養育環境によるものです。致し方ないことなのです。過去は変えられないし、この苦しみを誰かが変わってくれるものでもありません。だからといって、愛着障害に囚われて不幸なままでいてほしくないです。
自分のための行動を起こすとともに、もう一つしてみてほしいことがあります。
それは人との繋がりをもち、擬似的な愛着体験を味わうことです。
本当の愛着が得られないとしても、どんなものかを味わう事で補える事があると思います。
擬似的な愛着体験とは、他人を頼って甘えて安全基地となってもらうことです。そこに依存や執着をするのではなく、あくまでも味わってください。
「ふーん、あなたってこんな感じなのね。素敵じゃん。」
って人の素晴らしさに気が付く経験を沢山してほしいのです。嫌なことをされたり、傷つけられるようなことがあれば「お試しだし、まぁいっか、」と割り切って、次の人に出会いに行きましょう。
大人になったあなたは、自分の力でどこにでも行ってテントを張ることができます。
車やバイクがなくても、今は色んな手段があります。
今いるところ、関わっている人が全てではありません。
近くにテントを張る人と友だちになってもいいし、テントにこもってひたすら眠っててもいい。寂しくなったら、焚き火を囲む人の仲間に入れて貰えばいい。
私はテントにこもってひたすら眠ります。誰だってそうゆう時あるもんですよね。
おやすみなさい。