あれから20年、米国同時多発テロ9.11

 2001年のあの事件からテロ対策、世の中の仕組みなど世界の全ては変わった。

 あれから丁度20年が経ち2021年8月31日にアフガニスタンに駐留していた米軍ほかNATO軍が同国から撤退してアフガニスタンは「フリダシ」に戻った。

 僕の中で何かが僕を突き動かす。「発信せよ」と僕を突き動かす。そして2021年8月15日。あの日から何かが憑依したが如く、僕はアフガニスタン情勢を発信しつづけている。「あの日」から20年、何かが僕に発信せよと命じている。20年ぶりの運命的なものを感じている。

1  2001年9月11日 午後10時10分

 霞ヶ関の警察庁勤務だった僕は市ヶ谷のJICA宿舎まで外国情報機関の研修生を送り届けた直後だった。夜中でもまだ蒸し暑かった午後10時過ぎ、彼らを送り届けた直後けたたましく携帯電話が鳴り響く。発信者は職場すなわち警察庁警備局。

 「直ぐに帰庁せよ」と緊迫感のある声で指示を聞いた時、何かとんでもない事件が起きたのではないか?という動物的勘が働いた。

 現代とは違って、まだスマホなど夢の夢の時代。何が起きているのかは職場に出勤しないと全くわからないという、手探り感と緊張感ある頃の話。エレベーターではなんと警察庁長官と同じ箱に。長官を見届けた後、19階にあるオフィスに向かう。

 オフィスに戻ってみると夜中の11時を回っているというのに室員が殆ど出勤していて、全員デスクに張り付くかテレビに釘付け状態。そして皆が見ていたテレビ画面に目をやると。。。

 そこには見たこともない、とんでもない光景が広がっていた。

 この時僕の中で「ああ、これで残りの3年間はこの事案処理で終わるな。そしてそれまで身体が持てば良いけど」という直感が働くと同時に何ともやりきれない絶望感が渦巻いた。

2   オフィスの床で起居すること3ヶ月

 事件発生の翌日。通常「新聞当番」という当番職員が新聞の切り抜きをするが、9月12日の全紙とも全ページ見事に前日のテロ事件一色。こうした光景は昭和天皇の崩御以来のこと。

 新聞当番は「どこを切ったらいいか分からないので全部保管します」

と苦笑い。

 オフィスに勤務する室員は、数十名としておこう。これら室員全員が朝から晩まで働きづめで、夜もみんな帰ろうとしないという悪き伝統が更にパワーアップされてもう、どうにもならない状態。ふと気がつけばもう三週間も家に帰っていないのはほぼ全員という戦場にも似たブラックオフィスに転落。

 全員が寝る場所があるわけでもなく、みんな仕方なく新聞紙を広げて床に寝っ転がって仮眠するという、霞ヶ関に来てまでこの生活かという惨めな気持ちと半ば諦めにも似たそしてホームレスというのはこうやって毎晩寝るのかな、なんて虚な頭でぼんやり考える毎晩が嘘偽りなしでほぼ3ヶ月続いた。

3  国際テロ対策元年

 新基準の全ては米国が基準で既存のシステムはノー。コンテナのX線検査、船舶の管理、空港でのセキュリティーチェック、港湾での出入国チェック等等それまで普通に行ってきたことが通用しなくなり急に「ニューノーマル」に変わるという今のCOVIDー19を地で行くような体験を実は20年前に体験済みだったことを最近思い出した。

 そして、誰が笑い誰が儲かったのか?

 それは米国に他ならない。カウンター・テロリズムのコンセプトとこれに基づく社会の仕組み(FATF、マネロン)、機器の開発(X線による内容物把握)、靴のヒールまでチェック、液体は小分けして一定以上の分量は機内持ち込み禁止、全世界の旅行鞄にアメリカ国土安全保障省運輸保安局(TSA)しか解錠できないTSAロックの装着義務化などなど。今ではフツーに使っているものをアメリカは9.11を契機に全世界にマンデトリー化させた。結果儲かったのは?アメリカ。笑ったのは?アメリカ。

 この事実を見たら、いまだに「9.11」が米国家による陰謀だとする都市伝説が残っているのも不思議ではない?

 ※ ハイジャックされた4機のうち、2機がWTC(世界貿易センター)に激突、残りの2機は

   うち一機がペンシルベニア州の山中に墜落(乗客の英雄行為により首都ワシントン直撃を免れたとする伝説もあるが、空軍がスクランブル発進して撃墜したという説も残っている)

   残りの一機は、首都ワシントンの国防総省(ペンタゴン)の玄関先に墜落。なぜかペンタゴンは無傷。奇跡的な墜落と今でも語り草。

4   アフガニスタン侵攻

  米国は、9.11米国同時多発テロの犯人としてUBL(Usama  Bin Ladin)という人物を当初から公表してピンポイントでアフガニスタンで統治していたタリバンに対してUBLの引き渡しを要求するも、タリバンの拒否行為に遭う。その報復として2001年11月にアフガニスタンを急襲して一夜のうちにカブールを陥れ以来20年間当該地に居座ることとなる。

  その後の出来事は筆者の皆さんがご周知の通り。

  結局様々な要素が重なり合い、米国はアフガニスタンから撤退を余儀なくされ、昨日のタリバンによる勝利宣言と暫定政府陣容の発表と相なった。

  そして、誰もいなくなった。(北部同盟と共闘しているCIA特殊工作員などを除く)

5  我が国のスタンス、今後の立ち位置をどうするか?

  まずは、CT(Counter Terrorism)に尽きると思われる。アフガンが国際テロリストの軍事訓練場と化し、世界中からムジャヒディーン(聖戦士)らが集い攻撃技術、銃の使い方、爆弾製造方法などの最新技術をキャパビルするのでは?

  中国の関与、ロシア、パキスタン、イランの関与などなどこれからは当分目が離せない状況が展開するものと思われる。

  9.11米国同時多発テロの発生から丁度20年目の今年、再び国際テロ対策に深く関与するようになろうとは予想だにしてなかったが、これも自分が何のために生かされているのか?ということを考えつつ、できる限り正確なソースをもとに真実を発信してゆきたいと決意を新たにした。

  

  

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