コロナ禍がもらたした新しい教育のカタチ

COVID-19拡大の影響で全世界的な混乱が生じているが、そのなかで日本国内における教育について印象的なニュースが報道された。

タイトルの通り、オンラインで院試を実行するとのこと。周囲から『カンニングできてしまうのでは』との声が上がったが、それに対して『カンニング前提の問題を作る』、と。

これまで日本の教育は、いかに知識を習得し、それを活用できるか?に重点が置かれていたように思う。もちろんそれがすべてではないが、そういった趣旨をもとに教育方針を検討している節は確かにある。

何かわからないこと・知りたいことがあって、自分自身でそれを解決しなければならない時、ひと昔前であれば「辞典辞書など文献をあたる」などの手段が第一選択だった。しかし現在は、「ネット検索する」が多くの人が取りうる選択肢だろう。ヒトと情報との関わり方が大きく変容した。

現在は情報過多の時代。至るところに溢れている情報のなかから適切かつ正確な情報を素早く収集する。これはもはや一つの能力である。情報は、収集する時代から取捨選択する時代になった。

「様々な物事を知っている」ことに価値があるのは、今も昔も変わらないが、現在では “いかに情報を選んで使うか?” が重要な価値として、ほぼ同列に台頭してきている。そういったことを念頭においたうえで、先の東大院試をオンラインで実施する話を再度考えてみると、非常にいまの時代に適合したカタチであると考えられた。

これからを生きる若手には、そういった教育を推進すべきだと思うし、いまを生きている大人も、いまからでも時代に自身を適合させていかなければならない。

指数関数的に急激に変化するいまの時代、その変化にとまどってしまうことがあるが、一方でその変化を楽しむマインドを忘れてはならない。本来、へ変化はワクワクするものだと思うから。

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