橋本治と借金
橋本治は自身の借金について色々なところで書いている。
いくつか拾って整理してみる。
恐らく一番詳細に書いているのは『貧乏は正しい!ぼくらの資本論』であろう。まずはここから分かることを以下に。
発端
1989年、賃貸で住んでいた「事務所であるマンションの一室」の大家さんのところに"遺産相続"という問題が発生。相続税を払うために、大家さんは自分の持っているものを売らなければならなくなった。当時橋本治は忙しく身動きが取れなかった。しかもやたらと荷物を持っていた。とんでもない量の荷物を持って途方にくれるわけにはいかないので、それを「買う」と言ってしまった。
銀行とのやり取り
B銀行(売り主である大家さんの担当銀行)はこのマンションの一室30坪を1億8000万円(坪単価600万円)と評価
A銀行(橋本治の定期預金がある銀行)は、せいぜい坪単価350万円=1億500万円と評価
橋本治は最初にA銀行に相談に行っている。当時橋本治は2000万円の定期預金があった。A銀行でローンを組む場合、坪単価350万円で評価したマンションが"抵当"になった場合、評価の70%で、30坪=7350万しか銀行は貸さない。その場合、橋本治は自己資金として1億円以上が必要となる。
これを大家さんに言うと、B銀行を紹介される。B銀行でローンを組む場合、1億2600万までは貸してくれることになるので、残りは5400万円、貯金2000万なので3400万円をどこかから借りる必要となる。「いざとなったらこうするしかないのかな···」と思ってA銀行の担当に連絡。するとA銀行は焦って評価の見直しをすると言う。A銀行としては、金を貸し損ねる+定期預金の解約が目に見える状況となり焦るのである。
その結果、A銀行の評価額はたった3日で1.7倍、坪600万円が妥当となったのである。さらには、こういうところ(都庁ができる新都心のそば)だから坪800万円くらいまでは上がりますよ、と言う始末。それを聞いて橋本治は「なるわけねーじゃねーか」と言う。
最終的なローンの内訳
A銀行は1億8000万円のマンションに対して1億4000万円までは貸す、残り4000万円のうち2000万円は定期預金が担保、残りの2000万円の担保は「親が住む家の借地権」となった。
つまり、橋本治のA銀行に対する借金はマンションを担保とした1億4000万円とその他を担保の4000万円の2本である。前者の返済額は月に110万ちょっと、後者が月に50万ちょっとである。前者の期限が30年、後者が4年だった。
橋本治が考えていたこと
橋本治がこの借金をするにあたって銀行に確認したことは、途中で自分がローンを払えなくなったとき、別口の4000万円を返してしまえば、その後いくらこのマンションが値下がりしたとしても、銀行は、最初に決めた"1億4000万円の価値があるもの"のままにしてくれるのか、ということだった。
どういうことかというと、自分の定期預金と親の家の借地権を担保として借りた4000万円分の借金を返しさえすれば、1億4000万円分を途中で返せなくなったとしても損をするのは銀行だけ、ということを確認したかったのである。
銀行は、いまや3分の1以下に価値が下がったこのマンションを競売にかけて損をするのである。利子分として返し続けた数千万円の金は、ただの「むだ」ということになるが、橋本治はそれを「バブルという戦争に巻き込まれてむだに使った戦費」としか考えないから、べつに損なんかはしないと捉える。
この事を橋本治は以下のようにまとめる。
"私は、「銀行」とか「大蔵省」とか「東大法学部」とか「経済至上主義者」とか、そういった「たかが金儲け」でしかないものをゴタイソーにしている人間たちが、もともと嫌いなのである。
そんだもんだから私は、「1億8000万円でマンション買いませんか?」という話が来た時、意地でも「金がないから買えません」とは言えなかったのである。ミエで高いマンションを買ったバカは、あきらかに私なのである。それは、別の言い方をすれば、「意味もないケンカを一方的に買う」ということなのである。
1989年のそのはじめから、「値下がりしたらオレの勝ちで、銀行の負け」と、決めていたのである。だから、自分の買ったマンションが1年たって半分の値段に暴落したと知った時、ひとりで「勝った!」と叫んでいたのである。「あんなエラソーにしていた、明治の近代以来勝手に"日本の中枢"みたいな顔をしていた東大法学部の思想に勝った!」と思ったからである。"
このことは、他の場所でも言っている。たとえば、1998年の『別冊宝島 東大さんがいく!』における浅羽通明によるロングインタビューでは、
"銀行って、東大法学部=大蔵省の下にあるものでしょう?で、「こういうのは全部、人間的にいびつなのかもしれない」「バカげている」とこっちは思うが、向こう(銀行)は「バカげてると言うあなたは世間知らずですね」とくるから、「じゃあ賭けよう?」というわけで、マンション買ったり何だりしたんです。今、借金抱えてんだけど(笑)。それより思想の正しさのほうが重要でしょ。"と言っている。
また、『BRUTUS 2008.4.15号』「やっぱり「貧乏は正しい!」2008」でも同じく、
"1989年、ここを買う時に、銀行の考えとオレの考えと、どっちが正しいか1億8000万円賭けて、勝って、損した(笑)。
すごいよね、作家のお買い物って。銀行との勝負のほかに、単純に今後作家やっていくにあたって、貧乏がどういうことか具体的に分からないと、作家として致命的な欠陥になるかもしれないと思ったのもある。
膨大なローンを抱えて、働くということの必然は、もう簡単に分かったね。他人が求めるものを作り出せない限り、借金が払えなくなる。つまり、自分にとっての必然なんてもうないの。仕事として成り立つようなという前提の中で、そこに自分の必然が割り込めるなら割り込めばいいみたいになるから、自己表現なんてない。"と言っている。
結末
『小説幻冬』2019年1月号には橋本治先生からの手紙と題して、2018/10/29付の橋本治から関係各位への手紙が掲載されている。その中には、
"今年私は七十になりました「作家生活四十周年記念」と銘打たれた小説も出しました。『金色夜叉』の現代版も完結させました。そしてその翌月の七月には平成の間中返済を続けた悪夢のようなローンが完済するはずでした。入院中にローンは勝手に完済されましたが常識で考えて「えらいね」の一言くらい飛んで来てもいいじゃないですか。代わりに飛んで来た言葉が「癌ですね」なんだからなにをか言わんやでございます。さすがに三十年近くローン地獄に堪えた身は「畜生!馬鹿野郎!呪ってやる!」もへったくれもなくて、「あ、そうですか」だけですから「過ぎてしまえば何事もなし」です。"と書かれている。
また、『群像』2019年1月号に掲載された野間文芸賞受賞の言葉にも、
"私が七十になった年に、平成の間中続いた悪夢のようなローンの返済が終わりました。「ああ、よかった」と思う間もなく、「癌です」という告知を受け、四ヵ月病院生活を続け、出てきたらすぐ野間文芸賞受賞のお知らせです。「もっと頑張りなさい」と言われるのも、今では少し重荷です。だからと言って「もうやめてもいいよ」もいやなので、いささか複雑です。"と書かれている。
了