橋本治の後期雑文を読む7

『中央公論』2012年8月号より特集日本の「正義」を考える「生物(なまもの)の正義と乾き物の正義」
その時私は、さる雑誌の依頼で山田風太郎先生に関する文章を書いていた。書き終わって、「昔、山田風太郎論を書いた時のタイトルは、"正義について"だったよな」と思った。「"今頃正義ってなんだよ?"って言われるなと思っていて、やっぱり言われたな」と思っていたら『中央公論』の編集部から電話があって、「"正義"についての原稿を書いてほしい」と言われた。私は驚いて、「今頃"正義"ってなんですか?」と言ってしまった。私の思う「日本人にとっての正義」とは、「それを耳にしたら"今頃なんで?"と聞き返すようなもの」でもある。
私が山田風太郎論に「正義について」というタイトルを付けたのは、作家になってそれほどの時間もたっていない三十代の初めだったので、「この先なにをやるにしても、自分の足場を確かにしておかなければならないな」という理由もあった。私は「人のスタート時点に"正義"のなんたるかをはっきりさせておくことは重要だ」と思っているのだ。
「正義」というのは保守的でつまらないものである。どうしてかと言えば、「正義」というのが概ね「守るもの」だからである。「正義」というものは既にある---だから「守る」へとつながる。
それでは、「正義」とはなんなのか?私にとってその答は、どうということのないものである。私の思う「正義」は、「ズルをしないこと」である。面倒なことはない。子供でも分かる---というか、子供の方がよく分かる。「正義」は子供の方にふさわしいのだ。
子供が「正義」を理解するのは、その集団の中に入って体験し、そこに隠れて存在するルールを発見し、「これを守らなければならない」と理解するからだが、この理解は自ずと限られている。世の中は「子供の遊び」と同列に語られるようなものではなくて、「経験したことのないこと」や「経験出来ないこと」に満ち満ちている。だからその先は、明文化されたルールに拠るしかない。そして、生まれるのなら、ズルはそこに生まれる。
法やらモラルという言語化されたルールを守るということは、孤独な一人の頭脳がそれをただ「受け入れる」ということでしかないからだ。
「ズルをしない=正義」と思う私にとって、「正義」というのは、その場の「みんな」との共同作業だが、法やモラルは上意下達でやって来るものである。「ズルだ、ズルすんなよ」の声は、周りの「みんな」から飛んで来る。それを言うのは、自分と一緒に集団を構成している仲間だから、「ズルだ」と言われてしまう時には、言われる方も「ズルだ」は分かる。それが分からなければ、集団を構成する資格がない。その一方、「ズルをしてはいけない」の声は上から来る。ルールだから守りはするが、そのルールが成立する場に立ち会ったわけでもないから、そのルールがリーゾナブルであるかどうかは分からない。どうしてかと言えば、頭で納得しても、体験のない体の方ではピンと来ていないからだ。
「法と正義」という言い方があるが、そういう言い方がある以上、「法」と「正義」は別なのだ。どう別なのかと言えば、「法」は外側からの規制で、「正義」は我が身の内側からの規制---私にはそのようにしか思えない。「正義」というものは、体験によって我が身に備わるものなのだ。その根本を見失ったら、「正義」もへったくれもないだろう。
「法を守る、ルールを守る」は、「頭から入った正義」である。体験による実感から離れているから、時として教条主義に陥る。だから日本の「正義」はそこに「融通をきかせろ」と言う。
「融通をきかせろ」は、「ズルにならない程度の打開策を考えろ」なのだが、そうである以上、これはまたズルの温床にもなる。「融通をきかせろ」は、「こっそりとズルをしろ」でもあるからだ。それがズルになるかならないかは、その人の「正義」の判断次第だが、内なる規制である「正義」は、それと同時にその規制が万全でないことも知って、「融通」ということも考える。「正義」というのは、そういう生物(なまもの)なんだからしょうがない。「なにが正義であるか」という正解をいくら並べ立ててもしょうがないのは、それが所詮「乾き物の正義」でしかないマニュアルだからで、そうならないためにも、人は時々「正義」についてを考えて、身をシェイプアップする必要があるのだと、私は思う。

2012年8月『別冊太陽 山田風太郎』より「衝撃の忍法帖」
私は運がいい。1973年---23歳になっていた私は、山田風太郎全集の刊行に立ち会えたのだ。直感だけを頼りに「なにかすごいものがここにあるはず」と思って、その全集の刊行を待つ。
私は「当たり前の日本人の書いたものなんかおもしろいわけがない」というとんでもない偏見を持っていて、山田風太郎の名に惹かれたのはそこに「奇想」の二文字があったからなのだが、「剣豪小説」ということになったら「どんなもんだろう?」と思う。忍法帖とか剣豪小説というものを「力みかえった単調なアクション小説」としか思えなかったので、「こんなものがおもしろいのかな?」と思ってしかいなかった。そう思って読み始めて、すぐに魅了された。文章がロマンチックで、美しかったからである。
山田風太郎の文章は美しい。映像的だが、絵画的と言った方がいい情緒がある。内容が激烈であればあるほど、静謐な情緒がある。どちらも人間の体力に由来するものだからそうなって不思議はないが、これを実現出来ている人はそうそういない。
山田風太郎忍法帖小説のすごさは、命懸けで戦って、勝ってそして死んで行く忍者一人一人の死に方が、凄絶に美しいことだ。「死に方を書くことによって生き方を書く」という方法もあるのだと、風太郎忍法帖を読んで以来の私は思っている。忍法帖小説は、結局「大いなる哲学」なのだ。

『文藝春秋』2013年1月号より特集激動の90年 歴史を動かした90人「有吉佐和子 大地主の孫娘の血」
彼女は『真砂屋お峰』とか『悪女について』など、社会から自由になりたい女の話を書いていますが、あれは絶対、彼女自身の話です。「私は自由になれた」ということは、それまでは自由ではなかったということです。でも作家としては、窮屈な世界から逃げ出しても、また窮屈な世界を創りだして、そこに入り込んでいかないと書き続けられない。
有吉作品は何を読んでも面白い。彼女は「書きたい」と思って頑張らなくても書けてしまう。そういう人が書くから面白いんですよ。
ただ「面白い!」という要素を評価できるモノサシが、日本の近代文学の中にはないんです。私が解説を書いたときも、有吉さんの作品の解説を書く人がいないことは聞いていましたし、評論家は誰も有吉さんをほめないという状況でした。
有吉さんが亡くなってから私はセーターを編みました。私が編み物をしているのを知った有吉さんが例のキンキン声で「ねェ、私にも作ってェ」と言ったからです。有吉さんの『真砂屋お峰』は、加山又造さんによる、真紅地に光琳の千羽鶴の装丁で、それをセーターに編み込みました。
作家にとって最大の供養は作品を評価することだと思います。有吉さんは男社会に対して「こんなことでいいはずがない!」と問題意識を突き付けて頑張ってきた人です。そして、そこから自由になろうとしたけど、なり切れなかったように私には思えます。最後にそれまでの作品をクルッとひっくり返してくれるようなものを書いてくれていたらなと、それだけが残念です。

つづく

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