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友情と恋愛の「好き」はグラデーションではないか
最近、私はクワロマンティックという言葉を知った。
ライターのきのコさんによると、クワロマンティックとは、
「自分が他者にいだく好意が恋愛感情か友情か判断できない/しない」
という定義をされるそうだ。
私は上記の引用元サイトの『「クワロマンティック」とは何か? 恋愛感情と友情を区別しない』を読んだ際、なんだか腑に落ちた感覚があった。
思えば私は小学生の頃から、「友情に順位付けをする必要はあるのか?」という疑問を感じていた気がする。
この場合は同性の友達だったが、
私を「親友」として接する相手に対して、なんとも表現しづらい感情を抱いていた。
そして中学生の頃、
「親友と呼べるくらい親密な人ができることは喜ばしいことだ、
だから親友は1人である必要はないと思っている」
と、その相手に伝えた。
それは心から思っていることだった。
しかし後に、その言葉に少しショックを受けた、と伝えられた。
今挙げたのは同性との友情についてだったが、最近感じているのは、恋愛対象である異性への気持ちの分からなさだ。
私は、「人として興味があり、好意がある」ことを人間関係における基本的なベースとしている。(同性・異性に関わらず)。
その上で、異性に対して、まずは友人としての好意を覚えることがほとんどだ。
それからがよく分からない曖昧な部分なのだが、
仲良くなるにつれ、「素敵だな」「面白いな」と思う頻度が高くなる。
そうした場合に、気付くと好きになっていた、という経験がこれまでのほとんどの恋だったと思う。
しかし、友達になっている時点で、その相手に何らかの魅力を感じているわけである。
そのため、私にとっては、異性への友情と恋愛における好意はグラデーションのように思える。
お付き合いをする、となればまた別の話になるようにも思うが、
それでも友達は友達で大切なままだし、恋人と友達で優先順位を明確に分ける、
というのも不自然な気がするのだ。
好きな人にはできる限り幸せでいてほしいし、
性別に関わらず、これからも仲良くしていきたいと思う人とは仲良くしたい。
考えても答えはでないテーマだと思う。
だから、ひとまず私は、今の私を受け止めておきたい、と感じている。
読んでいただき、ありがとうございます。