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子供の頃は今につながる
子供の頃の夢はこの世界の全てを知ることでした。
あらゆることに興味があって、とりわけ本を読むことが好きで、世界中のすべての本を読みたい、読めると本気で信じて疑わない子供だったと思います。
小学校低学年の頃はたくさん習い事をさせてもらっていました。習字にピアノに剣道に、塾にも通っていました。何かを始めるきっかけは、たいてい近所の友達で、誘われるがままに一緒に始めました。誰かに誘われると、断らない性格で、どんなことでも楽しそうに思えていたのです。
今もそこは変わりません。誰かの話を素直に聞けるタイプ(だと思っている)なので、楽しそうに語る様子を見ると自分もすぐ興味を持ちます。
誘われたらとりあえずやってみます。でも、やってみた後、断りきれなくて、あまり楽しいと思わなくても続けてしまうことも多いのが難点です。
断れない、断らないということは、自分の意思が薄いと考えることもできますし、相手に気を遣って自分が我慢することにも繋がります。
子供の頃もそんな傾向はありました。
やりたい、という気持ちは本物で始めたものの、途中からあまりやりたくないものになっていて、それでもすぐに止めることはできませんでした。
やめることへの勇気が足りなかったこと、続けることを褒められていたので、続けた方がいいと思っていたことも理由です。
今思うと、親に気を遣って習い事を続けることは何のメリットもないと思います。
無駄に月謝がかかりますし、子供の頃の貴重な時間をやりたいことに費やすなんてとてももったいないことです。
それでも気を遣うことは、身に染みついていたのだと思います。それがわかる鮮烈な記憶があります。
私の幼稚園では年長になると、運動会で鼓笛隊をします。私はガードという、旗を持つ係をやりたいと思っていました。
ガードは花形ということもありおそらく人気だったのでしょう。先生から、別の役割をして欲しいと言われました。当時ピアノを習っていたこともあり、ベルリラという竪琴をして欲しいと頼まれたのです。
私は嫌だと言いましたが、1番仲の良かった友達が鼓笛隊を引っ張る指揮者をするので、その子のためにもやって欲しいと言われてやむを得ずベルリラの役割を引き受けました。興味を持つことはできる性格なので、ベルリラもそれなりに楽しんでいたのだと思います。ただ、ガードがやりたかったという記憶が大人になった今でも強く残っているのは心残りが大きかったイベントなのでしょう。
自分の気持ちよりも相手のことを尊重できることは、周囲からは優しく見え、好かれるタイプなのだと思います。
それでも自分にかかる負担は大きくなるので、自分にとっていいのかどうかは今でもわかりません。
そして、小学校高学年になり、学校に行けない日が増えていったのでした。
子供の頃のことに向き合うにはエネルギーがいることなので、書くのに時間がかかってしまいました。
なんだか暗い文章になってしまいましたが、自分の生い立ちなどはまた少しずつ書いていき、整理していきたいと思っています。