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空気みたいな存在でありたい

高校生の頃、晴風さんは空気みたい、と先輩に言われたことがある。
私の心にずっと残り続けている言葉だ。

先輩とその恋人と、私の3人で帰宅していた時のことだ。付き合いたての先輩と恋人は、本当は2人きりになりたかったのかもしれない。それでも、先輩は私も一緒にいることに違和感を感じなかったようだ。
空気があるのが当たり前のように、そこに存在していることが当たり前だと思えたらしい。
空気は認識しなければないようなものだから、認識されなければいてもいなくても一緒だ。その理屈で、私が存在していることに違和感を感じないのだと。
人によっては何を言っているのかと気分を悪くする人もいるかもしれない。しかし、私は空気みたいだと言われてしっくりきたし、数少ない自分の好きなところになった。

自分の存在に不安を感じつつ、それでも自分の存在を認められたいという天邪鬼なので、空気というのがちょうどよく感じられたのだ。
空気みたいだというと、存在感がないと捉えられるかもしれない。しかし存在感がないとは違う意味を持つ言葉だと思う。

存在感がないこと。それは、認識して欲しい時にも認識してもらえないことだ。
一方、空気みたいなのは、認識して欲しい時は認識してもらえるし、皆にとって必要な存在である。

どんな時もそんなふうにありたい。

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