社会不適合者の同志たちへ
すべての個性には、かけがえのない役割がある
登壇した八木さんは、自己紹介を始めるより早く、そう言った。
そして、その「かけがえのない役割」を、どう見つけてゆくのか。
29歳、著書2冊目。
会社の代表。
順風満帆そうに見えるその人は、神様でも勝ち組でもなんでもない。
ひとりの、人間だった。
『世界一やさしい「才能」の見つけ方』出版記念セミナーでは、
役割をどうやったら見つけられるのか、というのを3項目に分けて、著者の八木さん自ら説明してくれた。
講演中を聞いているわたしの姿を隣から見た人がいたならば、「コイツまじで聞いてんのか?」ってくらい、スマホを見ていた。
ひたすらに、メモっていた。
これをしないと、「いや〜〜〜勉強になったな!」で終わってしまう。ということを、人生で何度繰り返してきたか…
講演が終わって、自分のメモを見返した。
講演中は、話手からパワーをもらって「やってみよう」とか、「できる!」「おもしろそう!」などと良い気分になる。
そして家に帰ると、「いや〜やっぱむりそうだな〜めんどくさいな〜」と思うことの多さたるや。
機嫌の良い打ち上げの席で決めてしまったライブに似ている。冷静になると「まじでやんのかよ」と思うけど、あの瞬間はまじでできると思うものなのだ。
メモを読みながら「いやあ、やっぱムズイよなあ」と思う。
そして読み進めてゆくと、さっき浮かんだ疑問の解決策が書いてあった。なるほど。
終盤まで読み進めてみたら、やっぱり疑問があった。
もう1回、最初から読んでみるかと思って読み返してみたら、答えは冒頭に書いてあった。
もしかして
この3つの項目をきちんと理解すれば、終わるんじゃない?
長かった、自分探しの旅が
「アタシなんてナンもない」と言いながら、「それなり」以上のどこへもゆけない、誰と比べて"何かが"足りない不適合者。
何者にもなれずにいた日々に、自分で終止符、あるいは答えを、歩くべきその先を描けるのではないだろうか。
それが本当なのか確かめるべく、今日聞いた「才能を見つけた人だけが知っている、非常識な3つの真実」を書き起こしてみようと思う。
才能を見つけた人だけが知っている
非常識な3つの真実
今までの固定概念とは真逆のことを言います。
1.なりたい自分をあきらめると、才能が見つかる
これは、「世界一やさしい才能の見つけ方」(以降:せか才)本書にも記載があって、なるほどな〜と思った。
八木さんもnoteで解説してくださっていているのだけれど、わたしは自身の「せか才」感想文noteに、このリンクを貼らなかった。
たぶん、これだけ読むと誤解を生むと思ったから。
というか、わたしだったら完全に誤解する。
「憧れの人を真似なさい」って、憧れの人に言われた。
つい最近の出来事だ。
それを、真っ向から否定してくるようで悲しすぎる。
今回の講演では、八木さん自身のこんな経験談があった。
八木さんはかつて、なりたい自分を目指して、短所を克服すればいいと考えていた。
周りとうまく話せないダメな自分を、やっつけようとしていたのだ。
この項目をわかりやすくするために、「せか才」の名言を引用したい。
八木さんは、はっぱカッターを練習していたピカチュウだったのだ。
でんきタイプのピカチュウは、どうやってもはっぱカッターを覚えない。
おそらく、お兄さんはフシギダネだったんだろう。
でも、ピカチュウも頑張ればフシギダネになれるとか、もしかしたら自分も同じフシギダネだと勘違いをしていたのかもしれない。
白鳥の子が、自分をアヒルだと思いこんでいたように。
ピカチュウなのに、フシギダネになろうとするのはやめろ。
つまりは、そういうことなのだ。
ピカチュウだからさ、でんき技を使っていこう、使ってみよう
という話である。
厳密にいうと、でんき技以外も覚えられるのだけれど、ピカチュウが「覚えられる技」と「覚えられない技」っていうのは確かに存在する。
これももしかしたら、マイナスな言葉に聞こえてしまうかもしれない。
なんとなく、頑張ることって推奨されている。
ピカチュウは、くさタイプのはっぱカッターを覚えない。
でも、はがねタイプのアイアンテールは覚える。
覚えられる技を組み合わせて、ピカチュウは強くなってゆくのだ。
はっぱカッターの練習をしている場合ではない!
無理なくっていうのは、きっとそういうこと。
自分が何タイプで、どんな技を覚えているかを、確認すること。
そしてそれは短所を克服することではなく、「自分自身を出し切ること」
ピカチュウよ、フシギダネに憧れている場合ではない。
まずは君の覚えている技を教えてくれ。
2.才能は自分ひとりでは見つけられない
ピカチュウは、でんき技を使っていこう。習得しよう。
それはすごくよくわかった。
わたしも、自分のタイプと一致した技を使ってゆきたい。
完全に同意。
でも、自分のタイプ(才能)ってなんだかわからない〜〜〜それがわかれば苦労しないのよ!
自分探し歴35年よ。
それを教えてくれなきゃ帰れない。と思っていたら、ズバリ教えてもらえた。
わたしたちに、「才能」を教えてくれるひと。
それは、過去の自分と、周りの人。
八木さんは、自分の才能が「自己理解」だと気づいたあと、コーチング、セミナー、オンラインサロンを次々に開催したけれど、どれもうまくいかなかったそうです。
そしてたどり着いたのは、「オンライン講座プログラム」。
「自己理解」をひとつの口座に体系立てて公開する。
そうすると、びっくりするくらいお申込みが入ってきたといいます。
八木さんが得意だったことは、「体系立てて説明すること」。
そして思い出すは、高校時代だと語ります。
これこそが、八木さんの才能だったのです。
「物事をわかりやすく組み立てて、誰かに伝えること」
そしてそれは、高校時代(過去)の自分と、そのとき周りにいた人が、八木さんに教えてくれたものです。
誰もが、一度や二度、経験はあるのではないでしょうか。
自分の思っている自身の印象と、周りの反応が違うということ。
わたしはそういうことがあるたびに、照れちゃって、「うへへ」なんて笑ったりして、スルーしちゃってたんだけど。
中学校の先生をやっている友達に、「あなたのエッセイを読んで、教え子が進路を決めたよ」と言われたことがあります。
「いやいやそんなバカな」と思いましたが、確かに一度、わたしの言葉は誰かを救ったようです。
思い出してください。
あなたにもあります。「ありがとう」と言われたこと。無意識に発動している技や才能が。
そして、八木さんが言っていたこのせりふが印象的でした。
一冊目の著書を出版したときに、そんなふうに思っていたそうです。
あんなに参考になって、たくさんの人を救った本ですよ??
でも、本人にとっては当たり前。価値のないと思えるそこに、才能がある。
そしてそれは、自分だけでは気づけない。
誰かの「ありがとう」を受け取って、才能は開花する。
これが、八木さんがわたしたちに伝えてくれたメッセージです。
3.社会の歯車になりましょう
「才能を見つけたらやって欲しいこと」のあと、八木さんはこう言いました。「社会の歯車になりましょう」
「歯車」という言葉はマイナス的な意味に捉えられるかも知れません。
八木さん自身も「社会の歯車になるもんか」と思っていた時期があったそうです(完全に同意)
八木さんは、前著書を出版する際に不安があったそうです。
先輩に相談したところ、「ぜんぶ出しちゃってください」とアドバイスされたので、思い切って「自己理解プログラム」のすべてを著書で公開したといいます。
結果、本を読んで感動した人たちが自己理解プログラムを受講してくれたそうです。
そしてそれは、「貢献をすれば後に自分に返ってくる」という仮説に繋がります。
そしてこの仮設は、「せか才」のクラウドファンディングで証明されます。
このクラウドファンディングには、八木さんの著書や、自己理解への感謝のコメントで溢れています。
自己理解を体験して羽ばたいた人が、また次の誰かに貢献する。
背中を押されたわたしもこうして書いています。
誰かと関わることで感謝を生んで、自分の新たな才能を知り、育んでゆく。
それがきっと、すべての個性には、かけがえのない役割があるに繋がってゆく。
(おわりに)
ここまで一生懸命(多少ふざけて)書いてきました。
ラフなテンションで書いたかもしれませんが、やってみると難しいと感じることもあるかもしれません。
自分の才能を認めるって、ちょっと難しくないか? そう思っちゃうのはわたしだけ?
「わたしって文章を書く才能があるよ!」って恥ずかしくて言えない…
もうね、それが正直な気持ちなの。
そもそも才能なのかわからないけれど、ついつい書いちゃう日々を送っているのだから、何かしらご縁があるのでしょうけれど、ってくらいなもので。
才能ってもしかしたら、他人に「狂ってる」って言われた(思った)ことかもしれない。などと思いました。
わたしは毎日エッセイを更新すること自分で「狂ってんな〜」と思うし、
自分では食べないくせに毎日料理をして、冷蔵庫をパンパンに満たしている同居人を見ると「コイツ…ヤバイな…」と思います。
そういうのを、才能って呼ぶんでしょうね。
才能って呼ぶのが恥ずかしかったら、タイプにしよう。
ポケモンでいうところのタイプ。
ハンターハンターでいうところの、念能力診断ね。
(そもそも、念が使えることが才能と言ったら本末転倒だけど)あれは念が使えたら、誰でもどこかのタイプに属するものだから。
ちなみにわたしは、20代の頃は変化系でしたが、30代になってからは強化系になりました。
自分の才能ってよくわからない。
わたしの念能力診断みたいに変わってゆくこともあるかもしれない。
でもずっと、変わらずにいることもある。それはもう当たり前で、癖で、誰かに言われないと気づかないこと。
日常の中では、「ナンでそんなことできないの??」って他人に思うことかもしれません。
これは、「せか才」のごく一部の物語です。
この話を深く、もっとわかりやすく、図解も有りで、落ち着いた日本語で読みたいっていうひとは、是非この本を手に取ってみてください。
わたしは、誤字脱字たっぷりのまま、このnoteを公開するでしょう。
今までは「誤字脱字に気づけないマヌケ」と思っていて、それはそれで事実なのですが、
それは、「最終チェックを入念にするよりも、先に公開しちゃう前向きな性格」と言い換えることができて、それは一概に悪いことではありません。
そして、誤字脱字に気づいたあなたは「誤字脱字に気づく才能」とお持ちです。
「せか才」は、自分の持ち物の、使える技の、正しい在り方を教えてくれます。
「なんだかパッとしないな〜」「努力が足りないな」「隣の芝生が眩しく見えまくっている」という同志には、ぜひ読んでいただきたいです。
約5000文字、ここまでたどり着いていただいてありがとうございます。
あなたは「読み始めたものを最後まで読み切る」才能があるかもしれません。そうやって考えると、わくわくしますよね。
あれもこれも才能にしちゃうぞ〜〜〜
2023年4月8日 ねる
そういえば、「フルーツバスケット」っていう漫画で「人の魅力はオニギリの具のように背中についていて、自分では見えない」というようなせりふがあったと記憶しています。
すごく、助けられたなぁ…
もし、わたしの背中のオニギリの具! 見つけたら教えてください!!!
「せか才」の感想文はこちら