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拝啓ナイトストーリーズ様(さよならご自愛)
どうして、スガシカオの話になったのか覚えていない。
それは大学2年か3年のときで、当時のわたしは、友達から借りたスガシカオのベスト盤を気に入っていた。
他のCDはまだ持っていなくて、と言ったら、先生はすべてのアルバムをmp3にしてCDに焼いて持ってきてくれた。
違法といえば違法なのだけれど、当時はこういった方法でCD音源のやり取りをするのが”流行って”いた。
もらったCD-ROMには、Podcastも入っていた。
J-WAVE、スガシカオの”ナイトストーリーズ”
あれを、Podcast版に短く編集したやつ。
今でも覚えているの話がいくつかあって、
iPodの話(ファンだっていう子と飲みに行って、彼女がトイレに行ったスキに、テーブルの上に置いてあったiPodに自分の曲が入っているか確認してしまった)とか
ピンクの話(すべての単語の前にピンクをつけるとエロくなる。但し、ピンクパンサーとBONNIE PINKは除く)とか
ああ、いまでも好きだなァと思う。
スガシカオの、「そーゆートコ」が好きだなァと思うのだけれど
実は、いまでも指針にしているマジメなハナシがある。ひとつだけ
それは、視聴者からの質問で、質問内容の詳細は忘れてしまったのだけれど、「受験生だけど、勉強に身が入らない」みたいな話だった。
それに対する、スガさんの答えを、いまでも覚えている。
その日の自分の調子が、ゼロなのか、10なのか把握すること。
調子10の日に、めっちゃ頑張る。
(調子が悪い日には、そんなに頑張らない)
言葉はもう少し違ったと思うけれど、内容的には「自分の調子を把握して、調子に合わせた努力をする」ということだった。
なるほどな~と思って聞いていた。
なるほどな~というフリをして聞いていた。
人生の、ときどき訪れる「腹落ちしないこと」のほうを、わたしはよく覚えている。
覚えているというか、根に持ってしまう。
不思議とそういうことは、幾つかの季節をめぐったあとに「そういうことか」と自分の足でたどり着けたりするものだ。
これは、ずいぶんと時間がかかった。
10年以上の月日を経て、ようやくわかった。
わたしはずいぶんと長いこと、「今日の自分の調子」ってヤツが理解できていなかった。
だって調子ってヤツは本来、体調とは意味が違う。
頑張らなきゃいけないときは、0だろうが10だろうが頑張る(締切とか、仕事とか、ライブとか、そういうやつ)
逆に、あとでもいいこと・やらなくてもいいことは、ずっと頑張れない。
つまり、わたしは調子ではなく、「締切に対しての距離」と「物事の優先度合い」で行動を決めていたということになる。
それが、最近になって急に理解できるようになった。
この理由は明確で、ヤマイの副産物である。
調子を「体調」でコントロールする必要性が生じ、このふたつを結びつけることに成功した。
今までは、「これはサボりなのか、必要な休憩なのか」が判断できなかったのだけれど、今は「調子が良い!動ける!」という感覚を、捕まえられる。
ああ、これが調子が良いってヤツか……
この瞬間を逃すと、次はいつ訪れるかわからないので、積極的に動けるようになった。
このおかげで、かつての「スキさえあれば寝る」「なんかずっと疲れている」頃のわたしよりも、生産性が上がった気がする。
ありがとう、スガシカオ。
ありがとう、ナイトストーリーズ。
おかげさまで、ポンコツなわたしでも、やりたいことを諦めずに暮らせている。
◆
3月のライオン 17巻を読んだ。
わたしの魂は、スガシカオと羽海野チカによって、大部分を形成されていると言っても過言ではない。
二階堂くんは、病気を患いながらもプロ棋士として活躍している。
17巻では、こんなシーンがあった。
二階堂くんを心配する兄弟子と、そのふたりの師匠の会話だ。
あんな身体で突破できるとは思えませんよ、奨励会は
ホントは、静かに暮らせた方が少しでは健康でいられるのでは…
この道を行けば 辛さが何十倍になるとお前も思うか?
あの子はもう、とっくに選んどるのに?
あの子の心は火の玉だ
「戦いたい」と訴えとる
なのに、「座して死を待て」と?
そのほうが、よっぽど酷だよ…
ああ、この言葉に
この言葉に、これほど胸を打たれ、救われる日がくるとは思わなかった。
だって、二階堂くんと知り合ってもう10年以上経つ
あのころは、ツラくても病欠なんてしたことない身体だった。
気合と根性ですべてを乗り切ることが、正解だと思っていた。正解にしてきた。
でもいまは、気合と根性で身体が動かない。
わたしの身体を守れるのは、わたししかいない。
守らなければ、だから「腹八分目」みたいな、不完全燃焼に生き方をしなくてはいけない、と思っていた。
「具合が悪くなる前に帰りなさい」って言われて、その通りだと思った。
そっちのほうが長期的に見たらコスパも良い、わたしも会社もハッピーだ。
でも、ほんとうのわたしは、本来のわたしは
「腹八分目」、わかんないんだよ…
「空腹」「食べ足りない」「食べ過ぎ」しか理解できなくて
ほんとうはいつも、食べ過ぎたいの。
だって、「食べ過ぎ」の手前って、「食べ足りない」だから。
体調が良いときに、「念のため早めに帰ります」って言う自分に、すごく違和感があって
だって、まだ頑張れるのに。なんだか、サボっているみたいで。
でも、どこまで「頑張るべき」と「頑張りすぎ」の線引きが、体調に於ける「腹八分目」わからなくて
だからいつも、倒れないようにご自愛の必要があって
たぶんそれが、わたしにとって苦しかったんだ。
「酷なこと」だったんだ。
◆
ご自愛を、やめることにする。
やめることにする、というと少し違うのだけれど、ご自愛と信じてきた方法を卒業して、方法を変える。
今までは「調子が悪いときは休む」としていたのだけれど、この「調子が悪い」を細分化して、家を出れそうならば会社に行くことにする。
行けば、なんとかなるのである(だから、ヤマイじゃなくて気の持ちようかもしれない、という気もする)
その代わりに、晴れやかな気分で「今日は休もう」とか「リモートにしよう」と思ったときにはそうする。
要は、「今日もサボっちゃってメソメソ…」というターンを減らすことに注力する。
「調子0」以外の瞬間は、適した方法と、その瞬間のフルパワーで頑張ることを許可する。
むしろ、「調子10」のときは頑張って欲しい。
その結果、食べ過ぎ(やりすぎ)状態になって、終わったあとに使いモノにならなくなってしまったとしても。
結局、ご自愛し続けることが「なんとなく調子が悪い日々」を生んでいたような気がする。
休めば休むほど、病気がなくなるというワケではないので
最近のわたしは”ダマシダマシ”ってやつで
「調子良い」って浮かれると具合悪くなっちゃうからって、ずっとセーブしていた。
ずっと、「頑張らなくていいよ」って言ってくれてありがとう。
救われました。お陰で、今日まで生きてこられました。
でも、本当は「頑張ってもいいよ」って言って欲しかった。
そのことにいま、気が付きました。
いつ頑張るのか、何を頑張るのか、自分で決めること。
そのことが、自分の人生を舵を取ることで
わたしにとって大切なことは、自分の手で舵を握り続けること。
わたしの人生だもの。
わたしの人生は、ハチミツとクローバーでできていて、あの日に教わったじゃないか。
親が子どもに教えなければいけないのは、
「転ばない方法」ではなく
むしろ、人間は転んでも何度だって立ち上がれるという事じゃないか!?
教わったのは、信じようと決めたのは、こっちだった。
わたしの人生は、圧倒的に。
もちろん、転ばないように生きるっていうのもすごく大事で、双方のバランスが大事だっていうのもわかっている。
片方に振り切るのは危険だということも
でも、根っこの部分ではね
わたし、転ぶよ。
たくさん、頑張るよ。
「アーやっぱ休んどけばよかったなァ」って何百回も、何千回も思うよ。
もちろん、人生で後悔していることは、怪我のときもヤマイのときも「早めに休職という決断をしなかった」ということも、絶対に忘れない。
あなたには「しっかり休みなさい」って言うこともあると思う。
わたしだって、必要なときには休むよ。
だけど、わたしはここまで来てしまったから。
駆け足でずっと走るんじゃなくて、
止まったり走ったりしながら、進んでゆくことにする。
そうしたら、ずいぶんと身軽になれる気がした。
もう、ワケのわからない”我慢”を、ご自愛って呼ばなくてもいいんだ。
いつも、ちょっとやりすぎちゃうわたしでいいんだ。
「ヤバそうだからここまで」って、言わなくていいんだ。
言うときは、「ヤバイからここまで」って言うよ。それはわかる。スガシカオとナイトストーリーズが教えてくれたから。
この指針さえ失わなければ、わたしはどんな未来も後悔しない。
どれほど悔しい結末を迎えたとしても
きっとそこから、もう一度走り出せると思う。わたしなら、きっと。
ああ、これでようやく安心して、未来のわたしに託せる。
◆
ご自愛ください、わたしはいつでも願っている。
親愛なるあなたの、健やかな時間を
その「健やか」の意味を、最近は「健康」と置き換えすぎていたけれど
わたしは、不幸になる権利を持って生まれた子どもだから。
ヤマイで、倒れる人生を誰かは不幸と言うかもしれないけれど
わたしには、倒れない代わりに我慢続きのほうが、よっぽど不幸だった。
毎日が必死で、幸せの形も、不幸の形も考えていなかった。
親愛なるあなたの、健やかな時間を願っている。
あなたとわたしの、”健やか”の形が異なっていても
あなたの選択が、わたしの目には”不幸”に映っても
もしあなたが、わたしの前でその決断に胸を張ってくれるのであれば尊重する。
ああ、危ないほうには行って欲しくないな。
ほんとうは倒れて欲しくないって、言いたいけどさ。
倒れるのも、あなたの権利だから
あなたの無事を、祈っている。
※ハチクロ17巻 感想文
※その他ハチクロ(マガジン)
※その他スガシカオ(マガジン)
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