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後ハッピーマニア

この記事は、安野モヨコ先生の「後ハッピーマニア」感想文であり、
登場人物のシゲタ(シゲカヨ)に宛てた手紙である。
※わたしの20代の思い出話と今日の日記を含む


「ハッピーマニア」との出会いは、二十歳くらいのときだった。
当時付き合っていた人が、安野先生のファンで
「美人画報」と「ハッピーマニア」を借りて読んだ。

「美人画報」の生き方にはすごく刺激を受けたわりに、
あんまり影響を受けられなかった…
(わたしはあんまりていねいに生きられないし、美に賭ける情熱もあまり増やせなかった)
でも、安野先生が切り開く、美の物語が好きだった。

この物語に感動して買った安野先生の漫画「ジェリービーンズ」は
あれから何度引っ越しを重ねても、わたしの本棚に並ぶバイブルだ。


「ハッピーマニア」については、
二十歳そこそこのわたしには、まっったく理解できなかった!

そのとき付き合っていた人は、人生初めての彼氏で浮かれていたし、
それでも、「音楽を一生懸命やりたい」と思うわたしは、
恋愛に浮かれる自分を責めたりしながら、必死に生きていた。
自分の人生が、手一杯だった。

しあわせや居場所を探し、男を渡り歩くシゲタには、まったく共感できなかった。

なんかこの珍獣すごいな、わけがわからないな、と思っていた。
いま、後ハッピーマニアを読んで改めて確認したけど、このときのシゲタは24歳。
「仕事ができないでモテるのは20代前半まで」と言ったのは、シゲタだったろうか、フクちゃんだっただろうか。
わたしはその言葉を思い出す余裕もなく、二十代前半を走り抜けていた。


その、走り抜けるさなか
わたしは、安泰よりも「わくわく」を選んだ。
院卒の教員だった当時の恋人と結婚すれば、安泰だと思った。
でも、それがどうしても怖くなったし、生活がすれ違う中、わたしは「わくわく」を見つけてしまった。


恋人と別れたことで、「ハッピーマニア」は、わたしの手元から離れた。

でも、それからわたしは何度も、何度も、シゲタを思い出した。
「ああ、彼氏が欲しい」とウエディング姿で叫ぶ、ハッピーマニアのエンディング。

シゲタの姿を
なぜだか、何度も、思い出した。
「ハッピーマニア」という、その言葉が、わたしの肩にのしかかってきた。
シゲタに会いたい、と思っていた。


シゲタカヨコ…
結婚して高橋加代子となったそのひとは、
45歳となって、わたしの前に再び現れた。

それが「後ハッピーマニア」である。

この、裏表紙を見て欲しい。

画像1

45歳
専業主婦
子供なし
スキルなし
金なし

そして、離婚危機。

それが、いまのシゲタ(高橋加代子)だ。


「彼氏が欲しい」と叫びながら結婚したシゲタのその後を、見られるのならば見てみたい。
その欲求に駆り立てられ、わたしはこの本を手に取った。


感想を言おうと思って書き始めたくせに、ぜんぜんうまく言葉にならない。
感想と言う名のネタバレよりも、「読んで欲しい」と思っているからだと思う。


「行くとこなくなったら、歩道橋の下で住もう」と言ったシゲタは、
わたしの知っているシゲタだった。

どうしようもないのに、
どうしようもなく安心してしまった。
なんで、そういうところだけ残っちゃうんだろうね。

ルールを決めて、仕事と育児に没頭したフクちゃん(シゲタの親友)の状況も、たまらなかった。
フクちゃん、一生懸命だったじゃん…

すごく身勝手だ。
「別れたくないのは、愛しているから? 生活を失いたくないから?」という考えそのものが、身勝手だ。
わかってる。

「永遠なんて約束でないから、今愛していればそれでいい」っていうのも
わかってる。
わかっていたよ。


感想はうまく言えないけど、
わたしは、シゲタとフクちゃんを想って、少し泣いた。
遠くにいる友だちを想うように、泣けてきた。

シゲタ、もうスーパーマンにならなくていい。
そもそも、性別的には女で、スーパーマンじゃないし。
もう、世の中の女の何かを代弁しなくてもいい。
しあわせになって欲しいけど、しあわせが何かわからないから「ハッピーマニア」なんだろう。
それもわかってる。

わかっているけど、
わたしは、シゲタとフクちゃんの旅の無事を、祈っている。
何が無事か、わからないけど。

小田急線ですれ違ったときには、愚痴のひとつくらい聞いてやるから



わたしは本を閉じたあと、ゲームをしている同居人に向けて手を合わせた。
そして祈った。
「もう恋愛とか新しい暮らしとか大変にめんどうなので、わたしが45歳になるときも、このひとと一緒にいられますように」と。
大変に身勝手な願いだ。

「なにしてんの?」と訊かれたから、「祈ってる」と答えた。
シゲタとフクちゃんの話をした。

ああそうだ、
わたしは永遠を誓わないと決めたんだ。
彼氏とか彼女とか、そういうことに疲れてしまったんだ。

「付き合っていない」と人に説明すると
「どっちかが別の人を好きになったらどうするの?」と訊かれたりしていた。
そうだ、わたしの答えは決まっていたんだ。
「そのときまで、一緒にいようと思う」

わたしは、もう一度手を合わせて祈った。
「この日常を”続けたい”と願っているあいだは、無事に続けることができますように」
それを聞いた同居人も、バチンと手を合わせて祈ってくれた。


永遠なんてどこにもない、わかっている。
結婚をしていても、していなくても、
帰る家を一度同じにしたところで、手間さえかければ必ず出ていくことができる。

だからって毎日「この人がいなくなったらどうしよう」と怯えながら生きるのも、なんだか肩身が狭い気がする。
だからって、この暮らしが当然とふんぞり返るのも違うし、永遠がなければ、正解もどこにもない。


わたしは、シゲタの物語の続きをたのしみに待ちながら、
涙を拭いて、自分の部屋を見渡している。




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松永ねる
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