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深夜のフィナンシェ

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書いてみた短編小説と、小説っぽいもののまとめマガジンです。
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#掌編小説

いまは、ここで

 新宿に来たついでに、どこへ寄って帰ろう。  IKEAを徘徊して、明日会う友達に手土産を買った。(フリーザーバッグ。外さない手土産だと信じている)  スターバックスでコーヒーを飲もうと、裏手を目指す。すぐ隣はバルト9で、上映中映画のポスターがたくさん飾ってあるので、ついつい見てしまう。  そういえば、狂ったように映画を見ていた年があった。  慢性的に具合が悪く、体力もお金もない暮らしで、時間ばかり持て余していたので、よく仕事帰りとか、病院の帰りに映画館に寄った。あるいは、仕

【掌編】 夜の隣人

 消えたい、と思う。  何かがすごく不安というわけでもなく、ただ漠然と不安だったりする。生きていれば嬉しいことや、喜ばしいこともあるけれど、それは刹那的なもので、永続的に襲いかかってくる不安に適うものなんてない。  お金があれば、仕事があれば、友達がいれば、家族がいれば、何かひとつくらいあれば安心できるような気がするけれど、その先には幾重にも別れた問題が発生することは、想像に難くない。だって、みんなそう言ってる。みんなって、みんなだ。どこでいつ、知り合った人でも。恋人ができ

【掌編】ひとりぼっち

 0時12分。電車を降りる。終電の前に乗ったのに、ずいぶんと遅くなったな。と思う半面、このあとも電車が動いていることに、まだ驚く。上京して十年と少し。今日もまた、東京の夜は明るい。季節を問わず、いつでも、いつまでも。  秋になって良いことがあるとすれば、ヘッドフォンだと思う。夏は暑くてその存在すらも忘れていたけれど、衣替えと一緒に発見した。ワイヤレスのヘッドフォン。ノイズキャンセル付きで、没入感抜群。最近はまたコイツにお世話になっている。移動中に、音楽を”鳴らす”という行為か

【掌編】 身軽な隙間

 それは、大きな鞄だった。  朝の、込み入った電車の中で、それはあった。  もう少し奥に行こうと、隙間があるような気がしたのだけれど、そこは鞄だった。  実に大きな鞄で、身長150センチに満たないわたしが”体育座り”をすれば、すっぽり収まってしまうような。そういう錯覚すらあるような大きさだった。  鞄の主は、座席に座って本を読んでいた。  それもまあ、電車で読むには似つかわしくないくらいの厚い本だった。ハードカバーの。5センチより厚みがあるように見えた。  男は、少し痩せ

ハッピーセットをポケットに

友達から連絡がきた。 ぽんっ、とひとつ、いつも通りのメッセージが届いたあと、しばらくしてこちらを気遣うような内容が続いた。自意識過剰かもしれないけれど、生身の、温かさを感じた。 わたしは時折、文章から必要以上の温度を感じ取ってしまい、それを勝手に受け取ってしまう。 感覚を信じすぎてはいけない、言葉は言葉であり、それ以上ではない。 わかっているのに、無視することができない。足裏を流れる、さざなみのように 心配をかけてしまったな、と反省した。 いつも、自分としては落ち着いた心

純然たるホットチョコレート

下北沢に、カレーを食べに行った。 このあいだ食べたカレーが、どうしても美味しくて 「美味しい」の種類には様々あるのだけれど、このカレーは「毎日食べたい」系の美味しさだった。 ほっくりとやさしく、一筋の暴力も混じらず、すべてが丁寧で、さわやかだった。 「おばあちゃんち(イメージ)みたいな味」だと思ったけれど、実際のおばあちゃんの味っていうのは、もっとくたっとして暴力的だったと思う。なんていうか、強い。 食べ物なんて食べられればなんでもいいし、お腹は空くけれど、食事の数は極限

夢を見ずにおやすみ

夢を見た。 よく、夢を見る。 内容を、うすらぼんやり覚えている。 多くは、眠る前に見たアニメとか、日頃考えていることとか、そういうことに引っ張られる。 そろそろ会いたいな、と思えば、友達の家の猫が出張出演してくれるように。 そして時折、現実に紐付かない夢も見る。 今日は、やさしい人の夢を見た。 やさしい人は、時折わたしの夢に訪れる。 そして必ず、わたしを助けてくれる。 迷っているときには手を引いてくれるし 如何ともし難い、そんなときには背中を撫でてくれる、 導き、許し

サンドイッチの儀式

(おいおいマジかよ、うそだろォ……) ベッドにもたれながら、コーヒーを飲む。 ベッドと、本棚のあいだに置かれた”しまむら”のクッションは、お気に入りだけれど、少し薄い。 でも、本棚の隙間にコーヒー置き場を作って、まくらを抱えて座る。ここは、わたしのお気に入りだった。 4月12日 休日、晴れ。 信じられないほど晴れていた。 Tシャツの下に着ていたヒートテックを脱ぎ、ミッキーのTシャツ(正確には、キングダムハーツの”王様ミッキー”なので、ずいぶんと勇敢な気持ちだった)に、チノパ

【掌編】 僕とコーヒー

蛇口を捻って、水を飲む。 それから、冷蔵庫を開けて麦茶を注ごうとした手を止める。 違う、コーヒーにしよう。 そう思ってから、洗われたマグカップと一緒に、コーヒーサーバーが積まれていることに気がついた。 ああ、コーヒーを切らしている。 僕は、慌てることも落胆することもなく、キッチンラックに向かった。 どれほどコーヒーをペーパードリップする習慣が根付いても、インスタントコーヒーを切らすことはない。 117と書かれている瓶の底に、僅かに残った粉が見える。 軽く振るが、茶色い粉