なぜ、教師と子どもの間に「理解のすれ違い」が起きるのか。
子どもを寝かしつけ、危うく寝落ちしかけたJUNです。あぶないあぶない。何とか夢の世界から戻ってくることができました。
話しはがらっと変わって、授業の話。
授業をしているときはきっと「言葉」に対して細心の注意をはらって説明をしていることと思います。しかし、教師と子どもたちの間には、知識の共有ができていないと感じるときありますよね? 家庭でも、我が子に「お願い事をした結果。」
「どうして、こうなった・・・。」
と、思うことはありませんか。だれが悪いのか。もちろん、私たち教師や親の指示、説明に問題があるのです。今日は、授業でも家庭のお手伝いでも、使える内容を書こうと思いまうすので、日ごろの声掛けを振り返りながら読んでいただけると嬉しいです。
▶なぜ、「すれ違い」が起きるのか。
結論から書くと、指示が抽象的すぎるのが問題だと思われます。対子どもだと範囲が広くなるので、大人同士でもこんなことあるよねという例を紹介します。
僕は、所属している学校で研究主任という立場なのですが、毎年、「今年は、こんな姿の子どもたちを育てていきましょう。」という方針を先生たちに伝えます。その際、
「主体的な子どもの育成。」
と、伝えたらどうでしょう。たくさんいる教師の思いは同じ方向へと向くでしょうか。これは、難しそうですよね。主体的な子どもと言われると、
・問題に対し、自分の考えを書くことができる子ども。
・問題に対し、自分で調べ、まとめてられる子ども。
・自ら問題を発見できる子ども。
・友達の意見に対し、自分の意見を述べることができる子ども。
などなど、「主体的な子ども」の姿イメージは、様々です。だって、それぞれの教師の考え方や大切にしている教育観が違いますからね。抽象的な言葉でイメージまで共有しようとするのは、無理があるでしょう。
これでは、学校として研究を進めていく基盤が整っているとは言えません。「主体的な子どもの育成」という言葉は抽象的すぎるので、その下に示した・の部分のようなより具体化した子どもの姿で共有をはからないといけません。そして、
「自ら問題を発見できる子どもの育成を目指そう。」
と、具体的な言葉での方向性を決定することで、より授業レベルに落とした手立てを共有する必要性が出てくるのです。
このように、伝えたい内容がどれだけ具体的なのかを意識して伝えることで、考えが共有できるのかどうかが決まります。
では、いよいよ教師対子どもの場面で見てみましょう。ここで大切にしたいのは、「具体的な言葉」だけでなく、
「知識量の差を意識する。」
ということです。単純に考えて、教師は授業に対する教材研究をしているので、子どもたちよりは教材に対する知識量は多いはずです。そして、これが問題なのです。
「知識量が多いと、伝え方が抽象的になりがち。」
ではないでしょうか。「分かりやすく説明しよう。」と思って伝えても、子どもたちが頭の中に描いた図は、十人十色であるという事態が引き起こされます。さらに、共有できているかの確認をせず、「分かっているはず。」と思って授業を進めていくと、あっという間に知識差が生まれ、理解力にも幅が出てしまうのです。
だからこそ、子どもたちがどこまで、どのように理解しているかを確認できる手立てを打たなければなりません。具体的には、
・理解した内容を言葉で説明してもらう。
・理解した内容を、文章や図などでまとめる。
のような作業が必要になります。きっと集団で授業されている教師であれば、「お互いの意見を交流する。」活動を取り入れているのではないでしょうか。子どもたちによって理解度が違ってくるので、意見交流することで、理解が広がったり深まったりする可能性があるからです。
▶家庭での「すれちがい」。
一応僕も教師なのですが、我が子とは「すれちがい」が止まりません。うすうす気づいてはいましたが、学校では、あれほど慎重に言葉を選んで発問するのに、家庭ではその技能が生かされていない模様。
そして、「あるよね~そういうこと!」という買い物場面の例が「教養としてのプログラミング講座」著:清水 亮(中央公論新社)という本に載っていたので引用させていただきます。
「1000円を渡すから、スーパーマーケットに行って長ネギを2本買ってきて。もし安かったらバナナもね。そうそう、それと、帰りにコンビニに寄って、新しい週刊少年ジャンプがでてたら買ってきてくれるかな。」
と、ママがお願いしました。さて、結果はどうなったか。
全ての品物を購入し、帰って来た子ども。感謝を伝えつつ、買い物袋の中身を見たママは、みるみる機嫌が悪くなっていきます。ママをこう言いました。
「長ネギを買ってきてくれてありがとう。でもね、どうして300円もするバナナを買ってきたの? それとこのジャンプ、うちにあるやつでしょう。」
みなさん、この結果を読んで心当たりはありませんか。本書では、身近にあるプログラム的思考の例として書かれているものですが、これは、大人と子どもの知識の差も関係しています。
さて、この原因はどこでしょう。そうです。ママの指示ですよね。
「自分の知識をもとにした指示」
をした結果です。明らかに子どもの知識の範疇をこえているのです。具体的に言うと、
・「バナナが安かったら」→「安い」がいくらなのかわらない。
・「新しいジャンプ」→何月何日号なのか分からない。
というように、大人にとっては当然の知識が子どもにはまだ獲得されておらず、正しい判断ができなかったということなのです。
このように、お願いをする教師や親は、子どもの生活経験から、「何を知っていて何をしらないのか。」を考えて手立てをうつ必要があるのです。
▶「知識のすれちがい」を起こさないために。
では、最後にお役立ち情報を1つ。
教師でも親でも共通ですが、子どもに伝えたいことがあるとしましょう。それを伝えるときに、どのような方法が一番伝わりやすいと思いますか。そうです。答えは、
「体験」
です!! 体験に勝る伝え方はありません。何かを理解してほしかったら、具体的な体験から学ぶことが一番理解につながりやすいのです。
きっと、例としてあげた買い出しに行った子どももも、「ジャンプを買うときには、背表紙を見て、何月何日号か確認してから買う。」という体験を事前にしていたら、新旧を判断できたことでしょう。
ちなみに、体験が難しいことは、「ロールプレイ」という寸劇を用いて体を動かしながら学ぶという方法も理解を促進します。
僕も、授業中に手順を確認するときには、何人かの子どもたちをお手本として前に出てきてもらい、一度やってもらってから作業に入ることもあります。
また、盛り上がるのは、国語の物語文や社会の歴史など、配役を指定してその場面を演じてもらうことです。ロールプレイをした後、「このときの気持ちを想像してみよう!」とか「どうして、このような判断をしてしまったのかな。」という問題を出すことが有効です。より、具体的な状況を学級のみんなが共有して考え始めることができるのです。
▶まとめ。
本記事では、具体的な言葉を使わないと「知識のすれ違い」を起こしてしまうことと、その対処方法を書いてきました。基本は、相手の立場に立ち、分かりやすく伝えようという配慮なのだと思います。ぜひとも、お願いを具体的な表現で伝え、お互いに気持ちがよい生活を送れるようにしましょう!