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「本当の個性」とは。
大分前になりますが、これからは「圧倒的な個性」を育てていかないといけないという記事を書きました。
今でもその考えは変わっていないのですが、ある記述を読んでいて、「なるほど!」と思ったので、本記事では、「個性」について書いていこうと思います。
その本は、またまた登場、「ORIGINALS 誰もが『人と違うこと』ができる時代」著:アダムグラント 監訳:楠木 建(三笠書房)です。分かりますよ。「何回出すんだよ!」というその気持ち。ただ、この本は読むたびに発見があるのです。噛めば噛むほど味が出るスルメ本ですね!
何度も参考にさせていただいているのですが、今回は、楠さんの書かれた「監訳者のことば」からオリジナリティに関して書かれた内容から、学校や家庭で活用できる役立ち情報をまとめられたらと思います。
今回、話題にしたい叙述は、こちら。
「蝶ネクタイをつけたり、真っ赤な靴をはくことはオリジナリティとは関係ない。うわべだけオリジナルに見せているだけで、実際はうまくやろうとしすぎるあまり、もしくは失敗を恐れるあまりに、まわりに合わせることを選ぶ人が圧倒的に多いという。」
という記述です。これを読んで「はっ!」としましたね。若かりしのJUNに「ORIGINALS」を投げつけ、ひざまずかせてから「勘違いするな!」と伝えてあげたいと。
ここから学ぶべきは、
「真のオリジナリティを後から出すことは難しい。」
ということです。
もちろん、僕たちは、「みんなちがってみんないい」状態ですよ。一人ひとりが個性の塊ですからね。だからこそ、「見た目」から強引に個性を出そうと思っても、その人の本心は意外と周囲を気にして、「どう見られているか。」ということを気にしがちになってしまいます。
さて、いつものようにこの考え方を学級経営に生かせないかと考えたわけです。まず1つ目に思いついたのは、奇抜な格好をしている子どもに対して声かけする方法ですね。
例えば、授業中にフードを被ったままでいる子どもがいたとしたら、当然声をかけますよね? その結果、
「これっすか? いや、個性なんで。」
と、言ってきたら真正面から堂々と言いましょう。
「それっすか? いや、それは個性じゃないんで。」
と。
このような勘違いは、それなりの割合の子どもたちが一旦通る道なので、温かく見守ってあげましょうね。僕自身もそうやって道をはみ出そうとしてはみ出しきれない時代がありましたから。気持ちは分かります。
では、どのようなときに「個性」を支援できるのでしょうか。この問いを解決するには、教師がある考えをもっていないといけません。それは、
「個性的な子どもは、自分を個性的だとは思っていない。」
という事実です。個性は出そうと思って出すものではないですからね。いや、個性的な「雰囲気」は出せますよ。自分をプロデュースすれば。しかし、本当に子どもたちで共有する価値のある「個性的な考え」は、ねらってだされるようなものではないと心得ておかないといけません。
だからこそ、教師は、子どもたちの考えをみとって生かす必要があります。そのままそっとしておいたら埋没してしまうような「個性」を拾い上げ、全体へ提供することが、
「そんな考え方もあったのか!!」
と、学級全体の思考の壁をぶち破り、考えを広げることにつながるのです。
▶まとめ。
話合うことの一番の価値は、「自分と違った考え方。」を知ることです。そこで、鍵となるのは、常識にとらわれない「個性的な考え」です。いくら、
「きみたちの個性的な意見を期待しているぞ!」
と、叱咤激励しても「個性的な考え」は出されないのです。
だからこそ、自分の任された学級に「個性の権化」降臨していたら、その有難さにひれ伏すと共に、絶対に見逃してはいけないのです! 教師の権限をフル活用し、学級全体の考えの枠を取り払うことに終始すべきなのです!
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