人生を充実させるポイントは「見える範囲」の調整にあった!
「あなたの人生に影響を与えた本は?」なんて質問されたら答えられますか?
ぼくが今でも「わくわく感」を感じたことを鮮明に覚えている本は、高校生の時に読んだ「利己的な遺伝子」。
イギリスの動物学者であるリチャード・ドーキンス博士によって書かれました。
もはや説明するまでもありませんが、その中で語られた「全ての人間は遺伝子を運ぶ乗り物である。人間の行動は全て種の存続を考えることで説明できる」的な考え方に度肝を抜かれたのです。
ぼくが高校生といえば、不登校から抜け出そうとそれなりに必死な努力をしていたときですよね?
#知らんがな
読書という趣味をもたなかったぼくが、何を思ったのか何度も繰り返し読んだのは、きっと自分が置かれている状況とか苦しさをドーキンス博士の”とんでも論”が救ってくれたのです。
いい意味で「そんな、肩ひじ張って生きなくていいんじゃん。」と思えたのでした。
#遺伝子レベルで救われる高校生
そんな高校生時代を過ごし、ひょんなきっかけで「教師」という道に切り込んでいく訳ですが、最近になって再び「利己的な遺伝子」という言葉にたびたび出会うようになりました。
スピリチュアル的に言うと、「何かしらのメッセージなのか?」と思い、noteにも遺伝子レベルの話を書いてみようと思い立った次第です。
もちろん、ど素人なので勝手な解釈ですが、それもよしでしょう。
ぜひとも、「そんな考え方もあるのね。」という感じで読んでみてくださいね。
▼ぼくたちの行動は「種の存続」に基づいている
ぼくは、小中不登校から教師という道に進んだわけですが、このような道筋を通ってきた学校関係者は、なかなかイレギュラー。
自分でもそのイレギュラーさを理解して先生になったのですが、先生として人生を出発した当初は、
「あの先生みたいになりたい。」
「学校のルールに従わせないと。」
「はみだした子どもをなんとかして集団に入れよう。」
という思考で日々、教育活動に邁進しておりました。
ただ、20年近くの経験を得ると、
「憧れても同じ先生にはなれない。」
「学校のルールは、学校の中だけのもの。」
「はみだした子どもこそ、社会を変革する可能性がある。」
と、考え方が変化してきました。
今となって疑問になったのですが、新米教師のぼくは、「なぜ、集団に染まる的な考え方を取り入れたのか?」ということ。
これは自分が小学校時代に一番嫌いだった思考であり、そんな学校現場を変えようというモチベーションで教師になったにもかかわらず、現場に出てみると無条件で「集団に溶け込むこと」を子どもたちに強いたのです。
厳しい研修や情報統制など全くなかったのにもかかわらず、「学校」という文化に自ら染まろうとしていました。
むしろ当時は、「自分は、周囲の先生のようにできていない。」なんて悩みすら感じていたのです。
この疑問、遺伝子レベルで考えると答えが出てきます。
ずばり、
「集団の中に埋没することが、自分の遺伝子を守るための常套手段」
だからです。
「自分という種を残す」という目的に従うのであれば、集団の中でなるべく目立たないようにした方がいい。
何かしら目立った行動をすると、周囲からねらわれる可能性を高める訳ですからね。
このような「集団埋没戦略」は、様々な場面で使われています。
例えば、「初めての場所」に行ったとき。
小学校を転校したときなんてのが分かりやすいでしょうか。
初めての学校。初めてのクラス。そこで自己紹介をして、「はい、仲良くしていきましょう!」なんて紹介されたあなたは、きっと「そのクラスのルールに従おう」としますよね?
最初から、このクラスのBOSSになって派遣を握る!!なんてモチベーションで転校していく子どもはマンガの世界だけでしょう。
このように、人間は「集団に染まろうとする」とすることでリスクから逃れる作戦をとるのです。
▼だからこそ「はみ出し者」には価値がある
ただ、全員が全員「集団埋没作戦」を実行してしまうことも問題です。
例えば、新しいアイデアがほしい場面。
「みんなと同じでいいです。」という価値観しかないと、アイデアなんて生まれません。
みんなが先生の言うことに従っていたら、その先生の実力の範囲でしか子どもたちは育たず、先生の価値観でしか子どもたちは学ぶことができません。
だからこそ、「みんな同じ」に対して居心地のわるさを感じ、危険を顧みずに外へ出ていく「変わり者」が新しい文化を創造するのです。
#学校でいうとルールを守らない叱られ役
きっと、変化を嫌う「安定思考」の人がいて、「変わり者」もちょっとだけいるというバランスが、人間という生き物を存続させる遺伝子の戦略なんじゃないかと思うのです。
いくら「変わりたくない」と望んでも、環境や社会は常に変化していきますから、同じところに留まっている人に未来はありません。
こんなことを書くと、「はみ出し者にならないといけないのか?」と思われそうですが、そうでもありません。
ただ、「自分の人生は自分でコントロールできる!」という気持ちは、みんながもつ必要性を感じています。
#ここでみんな
「人生は自分でコントロールできる」と実感することは、あなたを悩みから解放し、あなたの可能性を伸ばすきっかけをくれるのです!
▼まとめ
本記事では、「遺伝子レベルで考えると、やはりはみ出し者には価値があるよ!」という内容をまとめました。
あまりにも「自分」に固執しすぎると、人生という長尺をピンポイントで考えすぎてしまう。
もうちょっと視点を引いてくると、「あなた」は「人間の一人」であり、「これからも続いていく人間という文化の一端を担っている」というところまで俯瞰で捉えることができます。
そう考えると、目の前で起きている問題が、相当ちっぽけなことだと感じることができる。
「あなたの抱える問題、悩みがどうなろうと、『人間』の歴史には全く影響を与えることはない。ただ、今日も明日も地球は回り続ける」
なんて言ったら乱暴でしょうか。
ただ、確かなのは、「あなたできることには限りがある」ということ。
そして、「命にも限りがある」ということ。
そんな制限ばかりの人間という生き方を考えた時、最終的に大切なのは「与えられた制限の中で存分に楽しむこと」だと思うのです。
ぜひぜひ、楽しいこと、わくわくすることを選択して生きていきましょう!
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