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私もがんばらなきゃなあと思った時

 昨夜何気なくフェイスブックを見ていたら、現在視覚障碍者柔道をがんばっている母校の後輩のMが、名古屋の名テレの番組で取り上げられた時のユーチューブ動画が上っていてつい見てしまった。

 彼女は地元の盲学校の高等部時代の後輩で、寄宿舎で同じ部屋だったことがあった。
 尾崎豊が好きで、文化祭のステージで一人ギターで「15の夜」を弾き語りして会場を盛り上げていたことは、今でも印象に残っている。
 その一方で、和太鼓奏者になりたいと夢を口にしていた。私もその当時はミュージシャンになりたくて、そのために音楽の基礎を勉強しようと、音楽科がある盲学校を受験することがほぼ決まっていた頃だったので、いつかコラボしたいねとよく話していたっけ。
 さらにMも音楽と同じぐらい詩や小説を書くことも好きだったので、自室で勉強しているふりをして、こそこそと交換小説をし合っていたこともあった。
 そんな彼女が、今では視覚障碍者柔道でパラリンピックに出場するような人になっていたとはビックリである。
 これまでに北京と東京パラリンピックに出場している。そして現在パリパラリンピックを目指してがんばっている。

 ユーチューブの動画によると、Mは地元の伊藤から新幹線で名古屋まで通い練習に励んでいるようだ。
 インタビューに答える彼女の第一声を聞いた時、あいつ良い意味で雰囲気変わったなあと思った。私の知る高校の頃のMは、あそこまではきはきと喋る人ではなかったのだが…。

 そして今回のユーチューブで初めて知ったのが、彼女が柔道を始めたきっかけである。それはMが中学の頃からやっていたバンド活動だったようだ。バンドのボーカルだったMは、腹筋を鍛えられるからという理由から柔道を始めたという。
 そういえば寄宿舎で一緒の部屋だった時に、中学の頃に友達とバンドを組んでいた話は聞いたことがあった。しかしまさかそのことが柔道を始めるきっかけになっていたとは知らなかった。
 そう思うと私自身も、もともとはオリジナル曲を作りたくて、その最初のステップとして17歳の頃から詩を書くようになったことが、詩集を出版した今に繋がっている。
 お互い好きだった音楽がきっかけで今の活動に繋がっているんだという共通点には何だか感動を覚えた。

 パリパラリンピックを目指して一生懸命練習に打ち込むMの姿に、こんな駄文を毎日書き連ねている自分が何だか情けなく思えてくる。しかし同時に私もがんばらなきゃなあと勇気をもらった。

 そんな思いを伝えたくて、彼女のフェイスブックにいいねやコメントをしたかったけれど、その時はやめておいた。リアルで知っている人から、自分の活動に対して反応があったらMも恥ずかしいんじゃないだろうかと思ったからだ。私自身それをされると恥ずかしいと思う方なので。

 それでも今日の朝再びその書き込みをタイムライン上で見つけた時、堪えきれずにコメントを入れてしまった。
 「動画見たよ。私もがんばらなきゃなあって勇気もらった。また機会があったらゆっくり話したいね」と。
 知っている人の活躍する姿を見聞きすると、自分もがんばらなきゃなあって思う。

 なぜだかMになら、今の私が詩人・全盲noterをしていることを、恥ずかしがらずに抵抗感なく話せそうな気がする。
 きっとそれは今思うと、自分が詩を書いていることを初めて人に話したのがMだったからかもしれない。
 こんど思い切って彼女にメッセンジャーを入れてみようかな。♪

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