嘘の夢を書いた卒業文集
先日Yahoo!ニュースで、教員の負担を減らすなどの事情から、卒業文集の製作を廃止した小学校が増えてきているというような記事を読んだ。
ぶっちゃけ卒業文集なんて、無ければ無いでべつにいいのではと私は思う。
というのも、私自身小学校の卒業文集には特に良い思い出が無いからだ。
ここnoteでも何度か書いているように、私は幼稚部から高等部普通科までの15年間を地元の盲学校(現在は視覚特別支援学校)に通っていた。
盲学校は、学校全体の生徒数がとても少なく、その影響で私は高校生になるまでの12年間、同級生が一人も居ない環境で過ごしてきた。
だからその年の小学部の卒業生は私一人だけだった。そのため卒業文集を作ることになっても、編集と印刷以外の作業は全て私一人でやるしかなかった。下級生やお世話になった先生方に原稿を依頼するのも、それらを集めるのも、全部一人でやらされていた。担任は口は出すが手伝ってはくれなかった。下級生や先生たちが、卒業する私に対してどのような言葉を寄せてくれていたのか、じっくり味わっている余裕も無いほど、その作業はもうたいへんでしかなかった。
小学部の卒業文集に関しては、もう一つ苦々しい思い出がある。
それは自分の将来の夢について嘘を書いてしまったことだ。
卒業文集に将来の夢を書くように言われても、当時の私は本当に夢というものが無かった。同い年の友達も居ない中で、ただただ先生や周りの大人たちの言いなりになって過ごすだけの日々に、自分の夢など描けるわけがないと、小学3年生ぐらいからすでにそう思っていた。
でもだからといって、「将来の夢などありません」と正直に書くわけにもいかない。
悩んだ結果、その当時ぬいぐるみが好きでたくさん集めていたので、「将来はおもちゃメーカーに就職して人形作家になりたい」と全く思ってもいない夢を書いてしまった。
ただでさえ自分を偽り続けなければならなかった盲学校という狭い世界の中で、自分の夢までも偽らなければならなかったのだ。当時はそれほど感じてはいなかったが、今思うとそれはかなりの罪悪感だった。
そんなわけで、卒業文集にあまり良い思い出がない私的には、先生も生徒もそんな無理してまで卒業文集を作ることはないんじゃないかとYahoo!ニュースの記事を読んで思った。