毎年、亡き父の誕生日に思うこと
生きていれば79歳となる父。
毎年、この日に思うことがあるので記録しておこうと思います。
若年性認知症を患い、約10年療養し、この世を去った私の父。晩年は精神科病棟に入院し生涯を終えました。
入院期間中に二度、誕生日を迎えました。
まずは一度目の誕生日
外出許可をもらい、外食をし、父が実家のように通っていた母の実家で親戚も集い、誕生日ケーキを食べました。ケーキを前にし記念撮影もしています。幼かった私の子供達とも過ごしました。
写真が手元に残っていて見ることはできますが、今は直視することができません。父の他界後に訪問介護職を経験した私は、感じるものが多く、その写真を直視できないのです。
手引き歩行ができていて、座位が保てて、自分で食事ができて、穏やかに落ち着いていて、時折表情もある。そんな父が何故また病院に戻っていったのか。
少なからず父が感じたであろう、外出する瞬間の外に出られるという喜び、そして、また施錠付きの病棟に戻る絶望感・・を考えると胸が痛んで仕方ないです。
父の意思確認ができないまま、病院側の指示通りに家族は応じていました。
だからこそ、症状が進む前に当事者の意思確認をすること、家族が認知症を学び、選択肢をもっておくことが大切だと今は思っています。
二度目の誕生日
車いす生活になり、病棟からの外出ができなくなっていた為、ナースステーション脇で誕生祝をさせてもらいました。母が持参してきた花の首飾りを父に掛け、孫である私の娘達がたどたどしい歌い方で「はっぴばーすでーとぅーゆー」と歌いました。
その時は父に表情が感じられず、ボーっと様子を見ているだけでした。
ナースステーションの看護師は皆さん忙しそうにしていて無関心。周囲にいる入院患者は白けたように遠目に眺めている。そんな寒々しい誕生日でした。
今でも腑に落ちない涙
その時、廊下奥の方で看護助手なのか、介護士なのか、二人組の年配の女性がこちらを見ていたのです。一人はポロポロと泣いていて、もう一人は宥めるようにして寄り添っていました。
その時、「なんで父の誕生日にあんなに泣くのだろう」と疑問に思ったのを覚えています。この時期になると、あの光景が今でも鮮明に浮かんできます。
二度の誕生日は全く違う
たった一年で全く違う誕生日となった父。やりたいことも行きたい場所も人との会話も制限され、安全ではあるものの、無駄に症状だけが進んでしまったように感じます。それは振り返った今だからこそ思うことです。
当事者の声に耳を傾けよう
これはできるだけ今の見守り事業の中で心がけている部分ですが、当時の自分は、
「お父さんはどうしたい?」
という問いかけすらできていませんでした。
手をとって会話をして、
「お父さんはどう?」
「どっちがいい?」
「何したい?」
もっと聞くべきだったと思うのです。
今となっては前を向いて体験を生かしていくしかないのですが、悔やまれて仕方ありません。
今週末はお墓参りをし、父の好きな熱いコーヒーとクッキーをお供えしてきます。
79回目の誕生日会のつもりで父に会ってきます。